イスラエル現地で高まる「ハマス壊滅」の強硬世論、「攻撃反対」「反政権」派が訴えるのはあくまで人質解放取引、「パレスチナ和平派」は消えた

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テルアビブ中心部の美術館前広場は、テロ攻撃以降、人質の早期解放を求める集会の開催場所となり「人質広場」と呼ばれている。この広場で毎週土曜日(イスラエルの休日)午後8時から開かれる集会を、3月1日に取材した。

売り上げを支援金に充てるTシャツなどを並べる民間団体のテントが並び、開始時刻になると広場は人々で埋め尽くされた。

人質集会で解放を訴える人々(筆者撮影)

2カ所設置された大きなテレビスクリーンには、黄色いリボンとともに、人質の写真や動画が映し出される。もう1つのスクリーンには、テロ攻撃からの時間を示す秒単位の時計が掲示され、刻々と時間を刻んでいる。

拘束されている人質一人一人の名前が読まれるたびに、即時解放を求める「アシャ」(すぐに)という声が上がった。人質家族が次々と壇上に立ち「すべての人質の解放を」と訴えた。

「解放を最優先に取引を」と人質家族

広場に面する図書館が人質家族の控室となっており、そのホールで、2月1日にいとこのオファ・カルデロンさん(54歳)が解放されたエヤル・カルデロン(40歳)さんの話を聞いた。

エヤル・カルデロンさん(筆者撮影)

「オファは娘(16歳)、息子(12歳)とともに、ニール・オズ・キブツから拉致された。子供は52日後、いとこは484日後にようやく解放された。

オファは最初のころは檻に入れられ、手かせ足かせをはめられ、殴られもした。食事もろくに与えられなかった。子供が解放された1回目の取引が終わって、戦闘が再開してから状況はまたひどくなった。トンネルをしょっちゅう移動させられ、日の光を見ることもなく、生命の危険を感じた。今ようやく家族一緒に治癒(ヒーリング)プロセスを始めている」ということだった。

ネタニヤフ政権の対応については批判的だった。

「最初から無条件にハマスと取引を行うべきと主張してきた。500日以上が経過し、すべての人質が人道上の危機にある。軍事的圧力は必要かもしれない。しかし、(オファさんが解放された)取引計画は、昨年5月に作成されており、その時行われていればもっと多くの人が生きて帰って来られた。しかし、新条件を加えたためハマスはのめなかった」

エヤルさんは、ハマスの条件をのんでも人質解放を最優先にすべき、という主張であり、Aさんとは正反対の立場だ。

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