「学校復帰」を目指す不登校支援はもう古い? N高人気にみる「学校に通わない」という選択肢。「不登校=年30日以上欠席」という前提を問い直す
すると、学校という場が担う役割もおのずと変わってきます。栄養のある給食を食べられるセーフティネットとしての役割であったり、虐待の早期発見という役割であったり、福祉的な側面が強くなっていくかもしれません。
学校教育が一斉授業という形式で行われてきたのは、社会の近代化の過程で効率がよかったからに過ぎません。学外で多様な学びのコンテンツが供給されるようになってきている今、新たな学校のあり方を模索すべきときが来ているのです。
「授業を聞く」のが苦手だった私
私の教育戦略のなかで学びの多様性の大切さを強調してきたのも、脳の認知特性の偏りは、個々においてさまざまなグラデーションがあるからです。
ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)は、脳の多様性を互いに尊重し、社会のなかで活かしていこうという先進的な考え方で、発達障害を脳の特性の違いによる「個性」と捉えるのみならず、すべての人を対象とした概念です。
かくいう私も、高校時代まで、学校の授業を聞くのが苦手でした。授業中ほとんど先生の話を聞いておらず、聞いても理解できなかったので、物理のテストなんてひどいときは3点というときもありました。
今となっては笑い話ですが、全く解けない物理の答案用紙に、「僕はこんな脆弱な理論の下で計算して、真理をつきとめたような顔をすることができません。解答したとしても、何ら意味をもたないと思うのです。でも得点には価値があります。是非、マルにして下さい」なんて屁理屈を書きつらねていたほど。
中高通していつもテストは一夜漬けで、成績は約400人のうち下から100番目くらいをうろうろしていました。授業のスタイルで説明されてもさっぱり頭に入ってこず、自分でテキストを読んだほうが学習しやすい脳の特性だったのです。
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