そんな嗅覚が働いたのだろう。重三郎は、富本節の音曲の詞章を記した「正本」や、練習用に節付をした稽古本を次々と刊行している。
安定した売り上げが見込めると考えた
浄瑠璃は新作が発表されるため、シリーズものとして定期的に刊行することができる。『吉原細見』と同じく、安定した売り上げが見込めるラインナップとして、富本節のテキストは重宝されることになった。

そうして富本節ブームにも便乗しながら、重三郎は天明3(1783)年にいよいよ吉原から飛び出して、日本橋へと進出。一流版元への道をひた走っていくのだった。
【参考文献】
若月保治『人形浄瑠璃史研究 人形浄瑠璃三百年史』(桜井書店)
内海繁太郎『人形浄瑠璃と文楽』(白水社)
岩沙慎一『江戸豊後浄瑠璃史』(くろしお出版)
『よだれかけ』(東京大学総合図書館所蔵)
『江戸砂子温故名跡誌』(学習院大学文学部日本語日本文学研究室所蔵)
『富本節』(東京藝術大学附属図書館所蔵)
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