1980年代、ソ連の末期症状が誰の目にも明らかになった頃のアネクドート(小噺)だ。
ある男が1時間遅れで工場に出勤したら、逮捕された。職務怠慢罪である。1時間早く出勤した男も逮捕された。こんなに早く来るのは、工場の秘密を探ろうとするスパイに違いない。第3の男は始業時刻に1秒も違わずに出勤したが、やはり逮捕された。なぜか? ロシア製の時計では、これほど正確に出勤することはできない。日本製の時計を密輸入しているに違いない。
このとき、世界中の誰もが、「日本製なら信頼できる」と考えていた。日本製品は、あらゆる分野でブランド力を獲得していたのだ。
乗用車は、その代表だ。アメリカで日本車とは、「燃費が良くて故障しない」車の代名詞だった。60年代の末、私はアメリカ人に「日本車でもアメリカの高速道路を走れる」と言って大笑いされたことがあるのだが、それから10年少々の期間で、日本車は高い評価を確立することに成功したのだ。
この状態は、その後も続いた。2004年から05年にかけて、私がカリフォルニア州パロアルトにいたとき、道を走っている車のほとんどがトヨタだった。私自身もトヨタを買った。1年後に帰国するとき、値下がりせず確実に売れる車といえば、トヨタだからだ。