「引退→64歳で新店」ラーメン店主が再出発した訳 40年働いた店を継承も5年後に新店、一体なぜ

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「老舗のラーメン屋さんは、鍋でスープに味付けをしてしまうところが多いです。『まさご』も『豆天狗』もなぜその作り方になったかというと、それは土地柄ですね。高山は寒いので、鍋も味付けして食べる風習があります。水炊きのようにタレをつけて食べるのではなく、味を付けたお出汁の中に肉や野菜を入れて煮込むんです。

そうするとだんだん味が辛くなる(しょっぱくなる)ので、野菜を足したり椎茸を入れたりして味を調えていきます。そんな鍋を作っていく感覚の延長でできたラーメンが高山ラーメンなんです」(冨田さん)

高山で自然発生的にできたのがこの作り方だったというわけだ。どこかで修業したわけではなく、一般家庭で作るラーメンからできた文化というのが面白い。

人気を二分した『まさご』の行列

ナカヤマ荘
「ナカヤマ荘」の中華そば(筆者撮影)

冨田さんは高校を卒業後、20歳から「豆天狗」を手伝うようになる。1980年代後半にラーメンブームがやってきて、高山のラーメン店がメディアで取り上げられるようになる。

当時はそれほどラーメン店の数も多くなかったし、他のラーメン店のことを意識することはなかったが、メディアに出るようになってから、他のお店の噂が耳に入ってくるようになる。

「常連さんから『まさご』に行列ができているという話を聞いて、『なにそれ? 並ぶってどういうこと?』と驚いたんです。うちも満席のことは多かったですが、ラーメン屋に行列ができるというのは考えられませんでした。

ある日曜日に『まさご』を見に行くと、本当にお客さんが並んでいたんです。

これがショックで、そこで火がつきましたね。お店をやっている限りは一番じゃないと嫌だみたいな変な性格があって、このままではダメだと思ったんです」(冨田さん)

テレビに出ているお店を見ていると、「スープはどうやって作っているんですか?」の後に「麺はどうされているんですか?」と聞かれていることが多かった。ほとんどのお店は製麺所の麺を使っているので、「地元の製麺所にお願いしています」とか「特別に作ってもらっています」と答えていた。

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