戦前、近衛兵だった父が戦争から帰ってきて、仕事がなかったので、地元にある城山の山頂で茶屋を始めたのがそのきっかけだ。ここではおでんなどを出していたが、ラーメン屋を始めようと思った父は高山の繁華街で小さな店をオープンした。これが「豆天狗」である。
オープンするや否やお店はいきなり大繁盛する。当時、飛騨エリアの中で高山は銀座のような場所であった。高山周辺の村の人たちは、休日になると高山に買い物に来て、映画を観てはラーメンを食べて帰るというのがお決まりだった。
「昭和20年代、30年代はやっぱり一番の娯楽が映画だったんです。映画を観に来た帰りに『豆天狗』や『まさご』でラーメンを食べる、これがもうスタンダードだったんですね。その後、いろんなお店ができてきて、町にラーメン屋さんが増えていきました」(冨田さん)
鍋を作っていく感覚の高山ラーメン
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「豆天狗」の中華そばは、冨田さんの父がすべて独学で勉強し創り出したものである。家で作って食べていたラーメンをそのままお店で出していたが、それが先代から伝わってきた歴史であるという。
「ご当地ラーメンというと、その町で一番古い老舗があって、そこに誰かしら修業に入って伝わっていくという基本的なベースがありますが、高山はそうではなく、ある意味誰でも作れるラーメンでした。お母さんが家庭でも作れるようなラーメンがベースにあります。
鍋の中に鶏ガラとタマネギとネギと生姜を入れて炊いて、チャーシュー1本買ってきて醤油入れて味付けて、縮れ麺を買ってきて茹でたら完成というようなオーソドックスな醤油ラーメンでした」(冨田さん)
高山ラーメンは決まった定義がないものの、スープとタレを一緒に煮込むお店が多いのが特徴だ。どんぶりにタレを入れ、そこにスープを注いで合わせる製法が一般的だが、高山では鍋でスープとタレを一緒に煮込んでしまうのだ。いわゆる味噌汁のような作り方で、これは全国的に見ても珍しい。
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