理系出身の彼女が「ひな人形」の家業を継いだ理由 埼玉県川越市「春蔵」 キャリアの先に描いた夢

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父・直人さんの実家である「津田人形製作」は100年の歴史があり、埼玉県川越市で約60年、制作を続けてきた老舗。直人さんは、現在も制作を続けている祖父・有三さんのもとで修業を積み、「自分らしいひな人形を世に広めたい」と2015年に独立した。

父のひな人形を次世代につなぎたい

ひな人形を作る祖父と父の背中を、幼いころから見てきた祐希奈さんだが、伝統を受け継ぐ難しさや重みを感じていたからこそ、「家業を継ぐ選択肢は、自分のなかに全くなかった」と話す。

春蔵のひな人形
晴れの儀式で着用する厳かな黄櫨染(こうろぜん)の衣装を上質な正絹で。古典的なひな人形を、質の良さとスタイリッシュさで表現している(写真:春蔵)

では、どうして「家業を継ごう」と思ったのだろうか。

「社会に出て、組織が動くさまを間近で見て『いつか自分も経営に携わってみたい』、『物事を大きく動かしてみたい』と思うようになったんです」

何らかの形での起業を考え始めた祐希奈さんだったが、当初は商材が思い浮かばなかった。そんなときに帰省した実家で目に入ってきたのが、父が作ったひな人形。

「改めて父のひな人形を目にして、『こんなに素晴らしいものが近くにあったんだ』と感じました。私にとってひな人形は小さな頃から身近な存在でしたが、一般的にこうした伝統文化は身近なものではなくなりつつある。父のひな人形を広めて、伝統を次世代につながなければと思ったんです」

とはいえ、「父のひな人形を広めるために、家業に入りたい」という思いは、すぐに家族に打ち明けられなかった。伝統産業の多くは厳しい現状にあり、中でも少子化の影響を受けるひな人形は将来的な見通しが厳しい。

「家業に私がただ入るだけでは、コストが上乗せになってしまうだけ。貢献できなければ、足手まといになってしまい無意味だと思いました」

春蔵のひな人形
藤の花をイメージした柔らかい紫色で、幾何学模様を取り入れている(写真:春蔵)

3カ月悩んだ末、祐希奈さんが「家業を継ぎたい」と家族に打ち明けた際、父・直人さんは驚いた様子で賛成も反対もしなかった。

「父に話をうまくはぐらかされて、その日は終わってしまいました。今振り返ると、業界の厳しさや伝統を受け継ぐ難しさを痛感している父だからこそ、賛成も反対もしなかったんだと思います」

話はうやむやのままだったが、祐希奈さんは引き続き、家業に貢献できる方法を考え続けた。

結果、必要だと感じたのは販路の新規開拓。そのため自身で営業の経験を積もうと勤務先で異動を考えたが、「当時いた会社では既存顧客への営業がほとんどでした。家業に貢献するには、まず新規開拓できる営業力が必要だと考え、転職を決意しました」

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