辻仁成「ぼくの人生にそっと寄り添う子犬」の存在 ぼくを素直な人間にさせたのは、三四郎だった

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でも、三四郎がそこにいてくれることで、ぼくは大きな安心を貰うことが出来ているし、寂しくなくなるのだから、この小さな存在の大きな意味に感謝しかないのだ。

【前編はコチラ→】辻仁成「人生の後半、子犬と生きる事について」 人間の孤独を癒やしてくれる素晴らしい生き物

【中編はコチラ→】辻仁成「人の一生というのは誰にもわからない」 一緒に住み始めた子犬は今日もぼくを魅了する

三四郎が毎日見ている世界

今日、朝の散歩で、気が付いた。

三四郎の鼻先は地面から2センチのところにあり、三四郎の目の高さはせいぜい10センチのところにある。

つまり、彼が毎日見ている世界は、そんな低い位置から見上げている世界なのだ。

ぼくは地面に這いつくばってみた。

ぜんぜん、見え方が違っていることに気が付いた。

これが三四郎が見ているパリなのか、と思った。

彼は木漏れ日に怯え、人の影におののき、ショーウインドーに映る自分に驚愕し、車に反射した光に飛び跳ね、喧噪や様々な侵入者が近づいてくるとぼくの後ろに隠れてじっと動かなくなる。

それほど、か弱い存在なのである。

ぼくがいないと生きていくことの出来ない、そんな三四郎を育てることが、今、ぼくの人生に意味を与えているというのだから、不思議である。

シングルファザーは頑張ったけれど、息子も巣立ち、本当の意味で、一人になった。

空を見上げる、ミニチュアダックスフンドのさんちゃん
三四郎は、犬なんだけれど、人間じゃないか、と思わせる瞬間がある(写真:辻仁成さん提供)
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