辻仁成「人の一生というのは誰にもわからない」 一緒に住み始めた子犬は今日もぼくを魅了する
今日もずっと一緒にいた。そして、昨日はすべて床にぶちまけていたポッポ(うんち)とピッピ(おしっこ)を見事に全部、おしっこシートのど真ん中に着弾させ、ぼくを驚かせた。それがなんだ、とか、言わないで頂きたい。こんなことで感動できる自分にも、ぼくは確かに驚いている。そして、子犬がぼくに与えている幸福というものが、この寂しい生涯の中にまぎれもなく意味を降り注いでいることにぼくは着目した。なので、今日は、三四郎の目を覗き込んで、「来てくれて、ありがとう。君のおかげだよ」と告げた。ぼくの都合で彼を生かすことは出来ないけれど、ぼくは彼の都合で振り回されることをうれしく思っている。
孤独を隠さないで生きること
今日も、朝の5時に、三四郎は寝室のドアをノックした。「くうううーん」と鳴いて、ぼくを呼んでいたが、吠えることはなかった。そして、ぼくは6時半にようやく起きて三四郎の部屋に入ってみると、特大のポッポが、犬小屋の前のシートのど真ん中に鎮座していたのである。
「ああ、そうか、君はこれが出来たことをぼくに報告しに来てくれたのか」
ぼくは三四郎を抱き上げ、何度も頰ずりをし、「よくやったね、よく出来たね、えらいねー」と言い続けた。
そういう時の自分をぼくは認めなければならない。
孤独を隠さないで生きることは人間にとって大事なことなのである。
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