モロゾフ家が日本にバレンタイン広めたいきさつ 創業者はロシア革命から逃れて日本に亡命してきた

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モロゾフ一家は、ロシアからまず中国のハルピンへ、そこからアメリカのシアトルを経て日本へ。1931年、神戸の材木商である葛野友槌からの出資を受けて神戸モロゾフ製菓を設立した。

モロゾフとバレンタイン

当時の日本ではまだ珍しかった美しい箱の中に入った、まるで宝石のようなチョコレートを売り出したことで評判となったモロゾフ。

翌年の1932年には、2月14日のバレンタインデーにチョコレートを大切な人に贈るという、いわゆるバレンタインの習慣を日本で初めて紹介した。創業当時に発行されたカタログには、「礼儀は扮装する」という洒落たキャッチコピーのもと、バレンタインのみならず、誕生日やイースター、クリスマスシーズンの贈り物としてのチョコレートが紹介されている。

女性が男性にチョコレートを贈るという日本式のバレンタインデーのスタイルは、第2次世界大戦後に徐々に広まっていったとされている。

1930年代のモロゾフによるバレンタインの宣伝は、具体的にどのような層にリーチし、実際にチョコレートを購入したのは誰なのかをここでは調べることができなかったが、1930年代当時において、とても洗練された商品と広告であったことは十分に考えられる。

なお当時のモロゾフは、バレンタイン用のチョコレートのみならず、ヨーロッパのチョコレートにも引けを取らない、かつ日本人にも好まれる良質な商品としてお洒落なパッケージのファンシーチョコレートやウイスキーボンボンを発売した。

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