モロゾフ家が日本にバレンタイン広めたいきさつ 創業者はロシア革命から逃れて日本に亡命してきた

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

その他にもモロゾフは、喫茶室も併設していた東京の店舗や甲子園浜のショップでは、日本で初めてピロシキを販売した。また現在、モロゾフは、菓子販売だけではなく、サロン・ド・テやカフェなども一部の都道府県で展開している。

神戸とテルニ

モロゾフは、他の企業に先駆けて高級チョコレートを売り出した菓子店であったが、1941年、モロゾフ一家と出資者の葛野友槌は衝突し、モロゾフ一家は、モロゾフの経営から離れた。以降、モロゾフ一家は、ロシアのお菓子を製造・販売するコスモポリタン製菓を神戸市で創業したが、2006年に廃業している。

こうしてモロゾフの経営を担うことになった葛野一族は、第2次世界大戦後はチューインガムやカスタードプリンを販売し、増設した工場でチョコレートの生産量を増やすなど事業を拡大していった。

日本で初めてバレンタインを提唱した菓子店を自負するモロゾフが拠点とする神戸市は、バレンタインの発祥の地とされているイタリアのテルニ市と観光交流協定を結んでいる。

現在、テルニの守護聖人となっているウァレンティヌスは、インテラムナ(現在のテルニ)の司教としてキリスト教の布教を続けた。ウァレンティヌスはローマ皇帝クラウディウス2世(在位268~270)がキリスト教を迫害する中、活動をやめなかったために269年2月14日に処刑された(ウァレンティヌスが活動したのは4世紀だとする説もあり)。

ウァレンティヌスのエピソードはいくつも残されているが、異なる宗教を信じるサビヌスとセラピアという恋人たちを結婚させたり、皇帝が禁じていた兵士たちの結婚式を執り行ったりなどといった話が有名となり、恋人たちを守る聖人として有名になった。

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事