
将軍の徳川家治が田沼意次を重用したワケ
いよいよNHK大河ドラマ『べらぼう』がスタートした。前回の大河ドラマ『光る君へ』が平安時代だっただけに、その時代のギャップにやや頭の切り替えが必要となりそうだ。
重三郎が駆け抜けた時代は、第10代将軍・徳川家治の治世にあたる。そこで今回は、家治がどんな将軍だったかについて解説しよう。
家治の治世下で、田沼意次が側用人・老中として幕政の実権を握った時代を 「田沼時代」と呼ぶが、その田沼時代において、蔦屋重三郎は生き生きと出版活動を行うことになった。もし意次が老中として自由な経済活動を推進することがなければ、重三郎の活躍は難しかっただろう。
そう考えれば、享保元(1716)年に8代将軍として徳川吉宗が選ばれたことが、その約35年後に生まれる重三郎の運命を決定づけたといっても過言ではない。
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