戦後の日大を支えた異形の組織「日本会」の正体 日本の権力中枢が集ったそうそうたる顔ぶれ

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〈社団法人日本会が設立されてから現在まで、営々と流れる「総調和」の精神は、混沌とした世界情勢の中でますますその重要性が増しております。民族・宗教の対立、政治思想の対立、そして地球規模の気候変化、人口の増加と貧困問題……、「世界調和と人類繁栄」の構築という私共の掲げる「総調和」の精神は、古くて新しい、私たち人間の「生きる」というテーマの追求でもあります〉

日本会が定めた総調和という思想は、日本大学建学の精神に通じると訴えている。世界平和を唱え、現在は93年に制度化された外国人技能実習生の受け入れをおこなっているが、設立当初は社会運動体の色が濃かった。わけても日大全共闘の新左翼学生たちは、日本会を大学執行部の後ろ盾である保守右翼組織ととらえ、目の敵にしてきた。それゆえ、「右翼暴力団」と過激な表現をしているのであろう。暴力団とは言い過ぎであろうが、たしかに日本会には裏社会に通じる部分もあったようだ。少なくとも「右翼組織」は的外れともいえない。

世話人たちのそうそうたる顔ぶれ

『叛逆のバリケード』に記されているとおり、日本会はその世話人が組織の性格を表している。日大会頭の古田重二良(じゅうじろう)が各界に呼びかけ、結成された。くだんの〈日本会世話人名簿(抜粋)〉には、錚々たる顔触れが並ぶ。いずれも戦後日本の政財界の歴史に名を刻んだ著名人ばかりだ。

日本会総裁を務めた佐藤栄作(撮影:東洋経済写真部)

総裁は佐藤栄作、戦後、日大を率いてマンモス大学に育て、中興の祖と呼ばれた古田が会長に就いている。その世話人名簿にあるメンバーを列挙するだけで、壮観という以外にない。名簿の順に姓名を挙げると、以下のような具合だ。

赤羽善治、東龍太郎、西尾末広、愛知揆一、町村金五、塚田十一郎、大平正芳、市村清、足立正、御木徳近、柴田徳次郎、松下幸之助、堀田庄三、江﨑真澄、村上元三、小佐野賢治、錢高輝之、小田原大造、中原実、藤山愛一郎、曽弥益、石田博英、西村直己、迫水久常、三木武夫、奥村綱雄、徳川夢声、庭野日敬、堤清二、井植歳男、保利茂、椎名悦三郎、安藤楢六、永野重雄、鈴木亨市、賀屋興宣、岸信介、灘尾弘吉、田中角栄、福田赳夫、安井謙、植村甲午郎、和田完二、原文兵衛、藤井丙午、日向方斉、石田退三、中曽根康弘、山岡荘八、大川博、五島昇。

国会議員や自治体の首長だけでなく、大手企業の経営者やメディア関係者、宗教家や文化人、裏社会に通じるフィクサーにいたるまで、あらゆる分野の著名人が日本会に参加してきた。

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