「身近な死」の瞬間を映像にした作品が伝えたい事 人は死をどのように受け入れ最期を迎えるのか
映画では何人かの「死に向かう」人たちにカメラが向けられる。
もう1人は、進行がんを患い、余命いくばくもないと診断され、大学病院から転院してきた男性(74歳)。病棟にいる患者や医療スタッフと車いすで出かける。目的は桜。もう見ることはできないだろうと言われていた花見ができると、桜の木の枝を持って笑顔で男性は写真撮影に応じる。
絶望と怒りでいっぱいだった男性
映画の中では描かれていないが、実は男性はホスピス病棟へやってきたばかりのとき、絶望感と怒りでいっぱいだった。当時を振り返り、溝渕監督はこう話す。
「男性は、治って元気になるために、大学病院でつらい化学療法(抗がん剤による治療)を受けてきたわけです。でもついに打ち止めになってしまう。そのときには、治療の副作用で体はボロボロ。自宅に帰りたくても帰してもらえない。それらが怒りになっていたと感じました」
撮影許可は得たものの、カメラを向けてもやり場のない怒りは収まらなかったという。
だが、そんな男性の表情も徐々に和らいでくる。
「24時間みんなやさしくしてくれる」と男性が言う。ホスピスで手厚いケアを受けていると、自分が“死にゆく存在である”ことを一瞬忘れさせてくれる。
細井さんは映画のなかでこのようなことを話している。「だからこそ痛みの治療は大事。だけれど、それがゴールではない。症状を取ってあげるところからがスタート」と。
一般的に、終末期の患者には「4つの痛み(苦痛)」が生じると考えられている。身体的痛み(病気そのものや治療の副作用などによる苦しみ)、精神的痛み(病気に対する不安、死への恐怖、孤独感や抑うつなど)、社会的痛み(仕事や家庭、経済的問題によるストレスや孤立感、役割の喪失感など)、スピリチュアルな痛み(自分の生きてきた意味」や「死の意義」に悩む、宗教的・哲学的な苦しみ)だ。
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