「身近な死」の瞬間を映像にした作品が伝えたい事 人は死をどのように受け入れ最期を迎えるのか

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院内に飾られた花火の作品を観る男性患者と奥野貴史医師(手前)(写真:溝渕監督提供)

「娘ともう一度ディズニーへ。」

「だれもが安心して生ききる世の中に」

「不条理な苦痛が少しでも減りますように」

ディズニーへの夢を語ったのは、初老の男性だ。末期がんのため体は痩せ細り、主治医からは余命宣告を受けている。「最後に行ったのは娘が中学2年生のとき」と語る。

七夕の際に、別の男性が短冊に書いた願いはこうだった――。

ありがとうございました。
最高の人生でした。
楽しかった 嬉しかった 毎日ワクワクの人生に
ささえてくださった方々にお礼を申し上げます。
バンザイ、バンザイ、我が人生に感謝します。
最後に、天の川に向け一人旅の出発です。

映画では、余命わずかな患者が、ときにつらさを訴えながら、「ありがとう」と周囲への感謝を口にして最期を迎えるまでの時間が、淡々と映し出される。溝渕監督は「病の中にあっても変わることのない願いがある」と語る。

「1日でも長く生きたい、死にたくない。もちろんそれもあります。だけれど、もっとほかにもいろんな希望や願いがある。また、患者や家族だけでなく、医療者にも祈りがある。医者も看護師も何とかこの人の願いを叶えられるようにしてあげたいと願っています。そのことを描きたかった」

身近な死についてもっと知りたい

大学中退後に新聞社に就職した溝渕監督は、サツ担(警察担当)の新聞記者として、災害、事故、事件を追いかける日々を過ごした。

「死が身近な現場であるにもかかわらず、死の実感がない」(溝渕監督)なか、死というテーマに真正面から向き合うきっかけとなったのが、新聞記者を辞めて、テレビ番組やCMなどの映像制作の仕事をしていたときに起きた、阪神・淡路大震災だった。

「新聞記者時代から自分が関わってきたのは、災害や事故などによる死であり、予期しないものだった。でも、多くの人はそうではなく、病気や老衰などで死んでいく。もっと身近にある死について知りたいと思った」(溝渕監督)

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