NY進出の一流寿司職人「超ハングリーになった」訳 伝統を守るモダニスト、中澤圭二氏の矜持
多くの料理を味わえば味わうほど、中澤が卓越した腕前であることがよくわかる。実際、彼は「吉野」の吉田正や「69 Leonard Street」の上野紫苑など、ニューヨークを日本以外で世界で最も重要な「寿司シティ」に押し上げた日本人寿司マスターの1人である。
寿司マニアの間では、中澤はシャリを3回に分けて酢の量や種類を変えて味付けするなど、細部にまでこだわることで知られている。1つは酸味の強いネタ用、もうひとつはマイルドなネタ用、そして3つ目は午後の早い時間に販売するテイクアウトのちらし用だ。
「中澤さんは寿司に生き、寿司に呼吸している」
漫画出版社「マーベル・コミック」で編集長して働くC.B.セブルスキーは、ニューヨークやその他の場所にある「すし匠」で25回食事をしたことがあるが、中澤を 「マイクロマネージャー 」と評する。2011年のドキュメンタリー映画 『二郎は鮨の夢を見る』の題材となった、もう1人の寿司カウンターの巨人、小野二郎と比較したのだ。
「二郎が寿司の夢を見るなら、中澤さんは寿司に生き、寿司に呼吸している」とセブルスキー。
中澤が生き、呼吸している寿司の具体的なスタイルは江戸前と呼ばれる。特にアメリカでは、高価格のおまかせカウンターに本物を証明するために使われることが多い。
東京の寿司職人が「江戸前」と言うとき、彼らが意味するのは、冷蔵庫が発明されておらず、寿司が屋台の食べ物だった19世紀に、魚介類を腐らせないために使われていたのと同じ保存方法で扱っているということだ。
中澤は、江戸前寿司が廃れていた時代にそのスタイルを復活させた料理人の1人である。中澤のキャリアは、江戸前寿司がいかにして歴史的遺物からカムバックし、本格的な寿司カウンターのデフォルト・モードとして今日の地位を築いたかを物語るものである。