ヴィレヴァンが相手にしてきたのは、創業者の菊地敬一がいうとおり「B級なもの」、つまり「メインカルチャー」に対する「サブカルチャー」(サブカル)であった。それらを好む層に向けて「選択と集中」をしてきたことが、ヴィレヴァンのコアなファン層を作ってきた。
しかし、地方への出店の拡大はその「濃さ」を薄め、「選択と集中」を拡散させてしまったわけである。
デジタル時代に対応できたか否か
さらに、私自身はこの問題を考えるときに「そもそも、サブカルに『選択と集中』しようにも、サブカル自体の定義が拡散してしまった」ことも重要だと思っている。
特にインターネットの登場以後、個人の好みは拡散し、かつてはなんとなく「サブカルチャー」と呼ばれて共通の趣味を指していた言葉の定義そのものが曖昧になってしまった。そうなれば、サブカルに「選択と集中」しようにもできない、そんな背景もあると思う。
タワレコが「オンライン空間」の侵食を背景に「リアル空間」の価値を研ぎ澄ませていったのに対し、ヴィレヴァンはむしろその侵食に対応することができなかった。この点でも両者は対極的であるといえる。


いずれにしても、タワレコが「推し活」に対して「選択と集中」をしてその業績を回復させているのに対し、さまざまな理由から「選択と集中」ができていないのがヴィレヴァンである。
コアなファンより、マスなファンをターゲットにしたことで、どちらも失ってしまうこととなった。
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