韓国大統領の戒厳令は「政治的自殺」だったのか 夫人の醜聞、閣僚弾劾などで追い詰められたか
しかし、「憲法の守護者」として戒厳令を宣布したという説明を、そのまま受け入れることは難しい。
一部では、金建希氏に対する特別検察法が再議決されるのを前に、与党からこれに賛同する議員が出てくる可能性を恐れて「政局全体を思い切って変えてやろう」と政治的に無理な決断をしたのではという見方もある。
また、尹大統領夫妻が2024年の総選挙で公認候補者選びに介入したという疑惑が浮上したままだが、この疑惑のキーパーソンとなるミョン・テギュン氏が拘束・起訴されたことも、決断に影響したのではという指摘も出ている。
政局を根底から変えようとした?
大統領府のある参謀役は、「いずれにしろ任期が来れば辞めるのだから、朴槿恵(パク・クネ)元大統領のように弾劾されて罷免されるような事態を招いてはいけない、であれば情勢を根本から変えてみようという判断があったのでは。金氏に対する特別検察法が国会で通過されればおしまいだという危機意識があったのだろう」と言う。
尹大統領が戒厳令を宣布した理由の一つに、これまで野党から尹政権の閣僚に対する弾劾が相次ぎ、政治的に手も足も出なくなったことを挙げたことも、このような脈絡からではないかと説明する。
大統領府の鄭鎮碩(チョン・ジンソク)秘書室長など尹大統領の主要な側近・参謀らも、戒厳令を宣布する生放送が行われる直前までこのことを知らなかったことが知られている。それゆえに、戒厳令という決定が緻密に計画が練られた末に出されたものではなかった可能性も出ている。とはいえ、即興的に出された決定ということも考えにくい。
戒厳令の建議が可能な李祥敏(イ・サンミン)行政安全相が12月2日午後に韓国南東部・蔚山(ウルサン)市で行われた行事に出席した後に急きょソウルに戻ったということ、趙志鎬(チョ・ジホ)警察庁長官が午後6時20分ごろに大統領室から「別途、命令があるまで待機せよ」との連絡を受けていたことなどを考えると、軽い判断で戒厳令が出されたわけではなさそうだ。
共に民主党が主張しているように、戒厳令を建議した張本人とされ、戒厳令解除後に辞任を表明した金龍顕(キム・ヨンヒョン)国防相が、2024年8月にそれまでの警護処長から国防相に任命したことをみても、長い時間をかけて準備されていたのではないかとの見方もある。
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