「ポッカレモン」が何度でも"新味"を出す秘訣 70年前発売の商品がなぜいまリニューアル?
「入社して4年後に商品開発室でポッカレモンを担当することになり、1990年代(当時ポッカコーポレーション)は売り上げのほとんどがポッカコーヒーをはじめとする飲料でした。上司から『レモンカテゴリーは商品開発の仕事がなくてごめんね』と言われました。当時は缶コーヒーが花形の部署でしたね」(吉川さん)
「どうあるべきか」を常に考える
しかし、ポッカの創業者であり、ポッカレモンの生みの親である谷田利景氏にとっては思い入れのある部署だったようで、頻繁に訪れては「社会に対してポッカはレモンを通じてどう貢献していくのか」と、社員1人ひとりに問いかけた。とかくサラリーマンは目の前のことに追われがちだが、「どうあるべきか」という視点こそが谷田氏の経営哲学であり、ポッカのDNAだった。
「商品はどうあるべきか? 事業はどうあるべきか? 社会は、人間はどうあるべきか?など、谷田はことあるごとに問いかけてきました。そのおかげで、『どうあるべきか』を徹底的に考える習慣が身につきました。当時はポッカコーヒーの全盛期でしたが、ポッカレモンなどの食品の分野においても成長させていかねばらないという問題意識を持つ上司もいました」(吉川さん)
当時、ポッカレモンの消費をより拡大するために、吉川さんはポッカレモンの商品とその展開はどうあるべきかを考えた。そして、消費者や飲食店へのヒアリングを重ねながら販路拡大のアイデアを立案した。
その1つが1990年代からの100%レモン果汁調味料としての用途別提案「ポッカ100レモン〈調味料宣言〉」として社内の位置づけを変更させるリポジショニングである。1994年に発売された70ミリリットルの「食卓レモン」を唐揚げなどの揚げ物や焼肉、サラダにかけて食べるというスタイルを提案し、スーパーでも飲料の棚から調味料の棚へ移設してもらうように働きかけたのだ。
「スーパーの調味料棚は、飲料棚よりもお客様の立ち寄り率が高いと言われています。調味料棚を確保したことで売り上げを伸ばすことができました。さらに、1995年に『焼酎用レモン』(現在は「お酒にプラス レモン」)を発売しました。その頃、段階的に行われてきた規制緩和によってお酒のディスカウントショップが増えていたこともあり、よく売れましたね」(吉川さん)
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