「働きやすい菓子店」が投げかける日本の大問題 従業員は全員女性「ロミ・ユニ」がしていること
短大出なら企業で事務職として就職し結婚するもの、と思われていた時代に、職人の道を選んだことは周囲を驚かせた。しかし、仕事を持つ母のもとで育った彼女に、腰かけで働く気はなかった。
ところが、いざ厨房に入ると、「人間的な暮らしができない」と感じた長時間労働時間の実態に愕然とする。同時に、「材料屋さんの営業でもお菓子の知識があるし、販売スタッフはお菓子の魅力を伝えられる。お菓子に関わる仕事は、パティシエだけではないと気づいたんです」といがらし代表は振り返る。
1年でパティシエを断念し退職。「体系が確立されているフランス菓子を知れば、洋菓子の世界がわかる」、とフランスの一流料理学校、ル・コルドン・ブルーに留学する。
「ジャム」という商品だからできること
約1年後、帰国しル・コルドン・ブルー東京校へ挨拶に行くと、転職して同校にいたルコント氏の元秘書に誘われ、同校事務局で働くことになった。やがてカフェブームが到来。周囲に乞われ、個人でカフェイベントの手伝いもする中で、頼まれて出したコンフィチュールが毎回驚くほど売れる。「このスタイルを誰かに真似されたら、一生後悔する」と、専門店開業を決意したのが2002年。
また、「ジャムだったら朝の品出しがないから、時間の自由が利きやすい。お菓子屋さんと違って、私のような“挫折組”の女性でも続けられる、すごい」という発見もあった。一般的な洋菓子店では、その日中に食べ切らないといけないクリーム類を仕込んで店頭に並べるため、早朝から夜遅い時間まで働くことが必要になるが、ジャムは賞味期限が長い。まもなく、コンフィチュール自体がブームになり、時代の波に乗る。
その後しばらくして、女性が1人で菓子やパンを製造販売する小さな店が増え始めるが、いがらし代表は独力での開業は選ばなかった。留学で貯金を使い果たしていたことに加え、「ある程度人数がいないと、週休2日は実現できない。最低でも販売が3人、製造が3人確保できる規模感が必要」と考えたからだ。
当時としては画期的な発想だが、「新規の事業を始めたい会社で、ブームの兆しが見えている商品を売る。こんなおいしい案件はないじゃないですか」と、企画書を作って売り込み続けた結果、「セルフィユというビン詰め食品の企画・小売りの会社の1事業部として、鎌倉の裏エリアで開業したんです」(いがらし代表)。
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