首都の通勤線「廃止」フィリピン国鉄の残念な現状 政府に見放され、新路線建設へ用地明け渡し

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既存の鉄道をすべて作り変えるという世紀の巨大プロジェクトである一方、NSCRはPNRの用地を活用するため、PNRの所有となるという点に一抹の不安を覚えるのも事実である。

フィリピン NSCR 展示
トゥトゥバン駅改札前で実施されていたNSCRの進捗を伝える展示(筆者撮影)

フィリピンの鉄道(現在のPNR)は第2次世界大戦前、首都マニラを擁するルソン島内に1000km以上もの路線網を展開していたが、戦後、とくに1970年代以降は衰退の一途をたどった。マニラより北側の区間(北方線)のほとんどが1990年代初めまでに廃止され、存続しているのは南側の区間(南方線)470kmほどとなっていた。

それも、線路自体は島南部までつながっているものの、運行は流動的で、本来なら国鉄の本分ともいえる都市間輸送はほぼ行われていなかった。貨物輸送も長らく途絶えており、わずかに走る旅客列車も朝夕に1~2往復走る程度で、運行ダイヤは当日の朝にSNS上で告知されるという状況だった。

唯一、最低限満足のいくレベルといえたのは、今年3月に運行を中止したマニラ近郊区間で、近年は朝夕に30分おき、日中は1時間おきという本数を確保していた。

PNR 203系 トゥトゥバン駅
トゥトゥバン駅に停車中の203系。マニラ首都圏PNRの主力になっていた(筆者撮影)

とはいえ、実態は都心のローカル線という雰囲気だ。高速道路と住宅に挟まれたわずかな隙間に延びる、草生したへろへろのレールを時速40km前後で申し訳なさそうに走る姿は、国鉄の幹線であるとは到底思えない。逆に、バラストも見えないような泥に埋もれたレールがはるか400km以上先のレガスピまで伸びていることに驚きを隠せなかった。

PNR南方線
南方線の線路。国鉄の幹線とは思えないほどの線路風景(筆者撮影)

政府に見放された国鉄

東南アジアで初の都市鉄道を1984年に開業させているフィリピン(2024年5月30日付記事『阪急が参画表明、日本と「マニラ都市鉄道」の40年』参照)だが、PNRはずっと置き去りにされてきた過去がある。これには、度重なる火山噴火や台風といった自然災害が多く、予算をかけて復旧させても再び運休に追い込まれるというフィリピン特有の事情もある。

例えば、マニラと南部を結ぶ「ビコールエクスプレス」は、直近では2011年に1日1往復の運転を再開したが、大雨による橋梁の損傷でわずか1年ほどで運転休止に追い込まれた。その後、ローカル列車として一部区間の運行再開はあったものの、マニラ首都圏側の営業が中止され、レールも剥がされてしまった。今後、マニラから1本のレールで最南部までつながる日は二度と訪れない可能性もある。

しかし、災害が多発するという事情はあるものの、PNRの安定した運営が阻害されている根本的な理由は、フィリピン政府がPNRに対して適正な予算配分を怠ってきたということに尽きる。

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