首都の通勤線「廃止」フィリピン国鉄の残念な現状 政府に見放され、新路線建設へ用地明け渡し
1980年の報告書は、当時現存していた127両の気動車(「国鉄通勤輸送強化事業(2)」で導入されたばかりの35両はカウントせず)のうち、稼働可能な最低限度の機能を維持している車両はわずか27両しかなかったと言及している。そのほかは、廃車同然までに荒廃していた模様である。
また、別の報告書では「現場でさえ何両稼働できるか確実に把握しておらず、聞く人によって答えが違ったという有様だった」とまで言われており、マネジメントがまったく行われていなかったことがうかがい知れる。
この状況を受けて、1979年に「フィリピン国鉄ディーゼル動車保守体制改善指導」が技術協力プロジェクトとして実施されているが、残念ながら目立つ成果は現れず、ODAで導入された日本製車両は1990年代までにほぼ使えなくなり、大規模な路線廃止とともにPNRは瀕死の状態に至った。
一方で、同時期に導入されていたアメリカGE製の機関車は、メンテナンスが容易かつ過酷な使用環境でも耐えられる設計であるため、ある程度の稼働率を維持しており、「国鉄南線活性化事業」でも円借款ながらGE製の機関車が導入された。これらは現在でも主力として活躍している。PNRは車両不足解消のため、2000~2003年にかけて独自に日本から中古の12系・14系客車を導入し、GE製機関車で牽引していたが、これらはすぐに荒廃してしまった。
近代化で利用者は増えたが…
マニラ首都圏では2008~2009年にかけ、韓国からの融資による軌道の改良、複線化、高床ホームの整備、冷房付き気動車の導入が行われた。同時に線路際に連なっていたスラム街も一掃された。
フィリピン政府側の予算の都合か、当初計画通りには完結せず、複線化はアラバンの1駅前でストップし、気動車も11編成導入の予定が6編成にとどまった。それでも列車運行本数は大幅に増加し、1日5往復以下だったのが20往復ほどまでに成長した。
また、2011~2012年にかけて、日本から元常磐線各駅停車の電車である203系などまとまった数の中古車両が無償譲渡された。203系は収容力が高く、冷房付きで腐食に強いアルミ車体ということもあり、輸送環境は幾分か向上した。車内の治安、秩序も向上し、ある程度は安心して利用できるようになった。
実際、2008年にはおよそ100万人だった年間利用者数は、2010年には約900万人、2014年には2000万人を超えるまでに急増した。
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