「持論を現実に」信仰という石破首相が持つ力 著名な宗教家だった曾祖父から受け継いだDNA
石破氏はこの宗教家の曽祖父のDNAを色濃く受け継いでいるとみられる。それは隔世遺伝と思われるほどだ。若干長くなるが、ぜひ紹介したい。
金森は1857年、熊本県小天(おあま)村(現・同県玉名市)に生まれた。西に有明海を望み、夏目漱石の小説『草枕』の舞台にもなった村で、蜜柑の名産地として知られる。
宗教家の曾祖父の強いDNAを継承
『回顧録―金森通倫自伝』(アイディア出版部、2006年)によると、金森は旧肥後藩の郷士で総庄屋の出だ。15歳になった1872(明治5)年に熊本洋学校に入校し、元アメリカ陸軍人で教師のジェーンズの下でアメリカ式教育指導を受けた。
金森や明治から昭和の言論界で活躍した徳富蘇峰ら、この洋学校で机を並べた約40人は、「熊本バンド」と呼ばれ、同志社の礎を築いた源流の1つとされる。熊本バンドは「熊本から来たグループ」という意味で、同志社の宣教師が名付けた。
金森はプロテスタントの中でも、アメリカ東海岸の流れをくむ会衆主義の教会、日本キリスト教団岡山教会の初代牧師も務めた。
30代半ばで政界や実業界にも進出。59歳の頃からは「世界一周伝道」と銘打ってアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどで海外伝道活動を行い、晩年は湘南の嶺山で原始的な洞穴生活をし、「今仙人」と呼ばれた。バイタリティあふれるなかなかの野心家で、世界を股にかけた行動派だ。1945年3月、享年87歳で亡くなった。
佐藤氏は金森について、「日本の歴史に残るたいへんな宗教人」と述べている。
金森は前述の自伝で幼少期を振り返り、「私は太平の子ではない、動乱の子である」と記す。また、熊本の私塾「日新堂」で学んでいた15歳の頃には、「此の頃から私は自身自ら天下を治めるの大望を抱いたのである。ここで私は初めて国家的人物になった。そして又心霊的人物となった。天下国家を治めんとするものはまずその身を治め、その心を正しうせねばならぬからである」と述べ、キリスト教入信後もこうした精神を維持していたと明かす。
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