あの城咲仁が「実家の町中華」で働く"切実な事情" 創業57年、父は満身創痍で鍋を振り、倒れ込む

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お金がなくなり、住む場所もなくなった城咲さんは実家に戻るしかなかった。

そこで引きこもりの生活をしていると、ある日父から「腐ったなお前」と言われた。この言葉にスイッチが入った城咲さんは、知人のホストクラブの経営者に連絡をし、気づいたらスーツを着て歌舞伎町に足を向けていた。

その日は金曜日でとても店が忙しい日で、その日から手伝うことになった。バーテンダーでお酒を作りながら人と喋ることが得意だった城咲さんは、ここだったら一気にお金が取り戻せるかもしれないと考えた。色のない世界に一気に色が入ったような気がしたという。

ここからの城咲さんの活躍は既知の通りである。

妻・ちかえさんの素朴な疑問が城咲さんを動かした

城咲仁
妻・ちかえさんとの写真。彼女の言葉をきっかけに、城咲さんは「丸鶴」のことを改めて考えるようになった(写真:城咲仁さん提供)

城咲さんが父の「丸鶴」のことを考え始めたのは自身の結婚がきっかけである。2021年の春にタレントの加島ちかえさんと入籍した。ちかえさんは素朴な疑問を城咲さんに投げかける。

「『丸鶴』ってあんなに凄いお店なのにこのままでいいの? お店を継げるのは仁さんしかいないんじゃないの?」

城咲さんは社会に出て、外で食事をするようになって、改めて父の料理の味の良さに気づいたという。

テレビやYouTubeに出て「丸鶴」のチャーハンがとんでもなくバズっているのも知っていた。しかし、父は体調を崩していた。

「ここから『丸鶴』を残さなければいけないかもと思い始めたんです。これは恩返しとか過去の報いとかではなく、こんなにお客さんに大事にされているものを放っておいていいのかという思いでした。

私が調理場に毎日立つことはできないので、お店にたまにしか来ることができない人のために冷凍チャーハンを作ろうと思い立ちました」(城咲さん)

丸鶴 城咲仁
鍋を振る城咲さん。かなりの腕前だ(写真:城咲仁さん提供)
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