「パレスチナ紛争」前に取られた"ユダヤ人の奇策" 混沌化する「中東情勢」、問題の源流を読み解く

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荷物の発送者はもとのパレスチナ警視で、その後オレンジの輸出業者となった男である。その活動を隠蔽するために、エフダ・アラジはワルシャワで破産した小さな農業器材と土木事業の工場を買った。

毎週土曜日、労働者がひとりもいなくなったあとで、アラジはその週のうちにつくられた機具を分解し、武器を中にかくしてからすべてをもとにもどした。3年間のうちに、彼の小さな工場はパレスチナに3000梃の小銃、226の自動小銃、1万の手榴弾、300万の実包、数百の迫撃砲弾、さらに大手柄は3機の観光用飛行機を送り届けたのである。

第2次世界大戦の勃発は、ワルシャワの工場の仕事に終止符を打ったが、社長の仕事がこれでおわったわけではない。パレスチナにもどったエフダ・アラジは、爾後二重の活動に一身を打込む。

イギリス軍の武器庫の掠奪を企てる

ドイツにたいする破壊活動の諜報組織をつくる一方で、ハガナのひそかな武装のためにイギリス軍の武器庫の掠奪を企てるのである。彼の部下たちはイギリス兵に変装し、上官の命令書を手に、武器庫に押入ってトラックに荷を満載して出て行った。

また武器弾薬を載せたハイファ= ポート・サイド間の列車にひそかに乗りこみ、共犯者の待つ地点で貨車の積荷を洗いざらい放り出す。ほかの連中は英国魂に燃えた士官、という触れこみで西の砂漠の戦場踏査に行き、潰走したドイツ・アフリカ軍団の遺棄した武器をもってくるのである。ハガナの火力はいちじるしく増大し、アラジの首には2000英ポンドの懸賞がかかった。

しかしハガナの武器についての叙事詩のうちで、もっとも突飛な物語は戦後にある。1945年の夏のある夕暮、テル・アヴィヴのキャフェのテラスが事件の発端だった。

新聞を走り読みしていたハイーム・スラヴィーヌは、ワシントン発の小さな報道記事に目をとめた。合衆国の軍需工場のもつ60万の製造機械が、すべて新品同様だが翌月には屑鉄として廃棄される、というのである。スラヴィーヌは立ち上って家にもどり、ダヴィド・ベン・グリオンに手紙を書いた。

「これらの機械を入手しに行くべきです」と彼は切願した。「パレスチナにひそかにはこびこみ、近代的兵器産業の基礎とするのです。歴史がユダヤ人に、二度とあたえない好機でしょう」

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