すでに見たように技術者の年収に大きな差が生じてしまうのは、賃金所得の分配が、アメリカの場合には高度技術者に偏った形になっているためだと思われる。それに対して、日本の場合には、賃金所得が比較的平等に分配されている。
つまり、日本の場合には、高度技術者と一般的労働者との間で、あまり大きな年収格差がないのに対して、アメリカの場合には、格差が大きい。このために、先に述べたような現象が発生するのだ。
こうなるのは、日本の場合には、技術者と一般労働者との間で、生産性にあまり大きな違いがないのに対して、アメリカの場合には、技術者は、一般労働者に比べて、新しい技術の開発などの点で、生産性向上に大きな役割を果たしているからだと考えられる。
このような生産性の差がなくて年収の差だけがあるのでは、非効率的な賃金配分ということになってしまい、長期的な継続性がないはずだ。
つまり、先に述べたように、日本の場合には、一般的な労働者と技術者との間であまり大きな能力の差がないので、年収の差が小さい。そのために、日本では新しい技術が生まれないのである。
日本が新しい技術に対応できなくなった真因
高度成長期においては、新しい技術を日本で開発しなくとも、欧米諸国で開発された技術を日本に導入すればよかった。そのために、格別に高度の技術や知識が必要とされることはなかった。
オンザジョブ・トレーニングで対応していくことが十分可能であった。このため、日本型の企業体制であっても、新しい技術に対応していくことが可能だったのだ。
しかし、IT革命以降、そうしたことが機能しなくなった。新しい技術に対応するためには、高い専門的知識が必要になったのだ。ところが日本では、そうした知識を持つ技術者が不足していた。このために、新しい技術を導入できなかった。
日本では、多くの人が学歴にこだわる。しかし、大学卒とは、大企業に入社し、その企業の幹部に昇進するためのパスポートにすぎないのである。それは、必ずしも実力のあることを示すものではない。
学歴にはこだわるのに学力を軽視する社会構造が、日本の発展にとって深刻な桎梏になっている。
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