日本の政治に「経済政策」などというものはない 経済政策の終焉か、政治そのものの終焉か?

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読者の多くは「じゃあ、急に話題となった、金融所得課税はどうなんだ?」ということになるかもしれない。自民党総裁選に立候補を表明したある有力議員が、所得格差、資産格差是正(主に、所得格差および「1億円の壁」と日本では言われてきた、勤労所得に対して金融所得の税率が低い問題)として、この問題を発言したところ、ちょっとした騒ぎになり、金融所得課税に言及した議員は「経済政策音痴」として、いわば袋叩きにあった。

彼は、確かに正直すぎて権力闘争音痴かもしれないが、経済政策音痴とはこの件ではいえない。なぜなら、この金融所得課税の問題は、経済政策の問題ではなく、まさに格差社会に対する社会政策、あるいは、富裕層とそれ以外との所得移転の問題であり、選挙に直結するとすれば、有権者の層ごとに損得が分かれる問題である。

もう少し高次元の話をすれば、日本社会のあり方に関する問題で、格差を均す社会か、稼ぐ力があるものがその恩恵をフルに受けるべきか、という論点になろう。だから、これは経済政策の問題ではないのだ。

アベノミクスとは何だったのか

では最後に、「もっと大きなヴィジョンである、デフレ脱却をキャッチコピーにしたアベノミクスはどうなんだ?」という疑問に対して、議論しておくことにしよう。

もちろん、これはキャッチコピーにすぎず、郵政民営化と同じ類いのもので、デフレをスケープゴートにして「財務省の緊縮財政が悪い」「日本銀行が金融緩和を渋るのが悪い」「日本の問題はデフレに尽きる」という戦法にすぎないことは、読者には百も承知だろう。

唱えた政治家は郵政解散を実行したのと同じ系統の派閥だし、その弟子だったから、デフレ脱却と郵政民営化の本質は同じで、キャッチコピー、支持率獲得の呪文にすぎないことは議論するまでもない。

しかし、それでもアベノミクスは政治的な政策論争としては大成功した。その理由はただ1つ。第2次安倍政権は、憲法改正政権だと思われていたイメージを一般国民に対しては払拭し(右側のコアな支援者には憲法改正のための手段だと思わせ)、「国民の経済のためにすべてを捧げる」というポーズをとったことだ。

議論はアベノミクス一色になり、それに賛成しようが反対しようが話題になり、要は「安倍政権は経済と真剣に取っ組み合っている」というイメージの確立に成功したのだ。そこがすばらしかったのである。

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