日本の政治に「経済政策」などというものはない 経済政策の終焉か、政治そのものの終焉か?

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では、まもなく終わろうとしている岸田政権はどうだったのか。今ではほとんどの人が忘れているが、彼のキャッチコピーは「新しい資本主義」だった。「新しい資本主義」とはなんだったのか。誰もわからないし、そんなもの実はなかった、存在しなかった、ということになっているようだが、そんなことはない。

彼は、成長から分配へ、あるいは、分配と成長の好循環、分配も成長も、といろいろ言い方を変えていったが、要は、成長一辺倒ではない、株価一辺倒ではない、という考え方だった、と要約するのが妥当だろう。

それの政治的意味はなんだったのか。要は「アベノミクスとは違う」ということに尽きるのである。アベノミクスを誇らしげに主張していた安倍政権やその取り巻きたちは、「批判するけど、じゃあほかにあるのか、代替案を出せ、なんだないのか」という論法で反論を封じ込めていた。

だが実は、岸田政権は立派な代替概念は提示していたのである。現実的には、株価が下がってもいいのか、企業の利益が下がってGDPが下がっていいのか、という声に押されて曖昧になっていったため、政治的には成功しなかった。

なぜ日本では重要な経済政策論争が行われないのか

しかし、本来あるべき政治における経済政策論争が、ここでは行われかけていたのである。冒頭に述べた、第4の議論、経済社会のあり方を問う、これが経済政策論争の最重要点なのである。成長よりも分配とはっきり言い切り、それで貫けば、立派な政策論争として岸田政権は名を残しただろう。しかし、メディア、有識者だけでなく、ほとんどの国民からも、それよりも金をくれという声に押されて、政権はあっという間に崩壊していただろう。

つまり、日本の政治において重要な経済政策論争が行われない理由は、国民がそれを求めていないからである。そして、アメリカなどのような二軸対立がないため、金持ちと貧困層の戦い、ウォールストリートとメインストリートという対立軸がなく、みんなが豊かになる政策(と称する)だけが生き残れるのである。

となると「GDP、株価、上がって文句あるのか」ということになって終わりである。その結果、日本経済、日本社会の根本的な構造転換どころか、やや根本的な修繕すらできず、現状維持プラスアルファという株価上昇か、現金バラマキ政策に終始してしまうのである。

金融所得課税も、根本的ではない、ちょっとした構造的な修繕だが、それも株価のためにできないのだから、自民党総裁選だろうが、総選挙における政策論争だろうが、日本に本当に必要な経済政策が議論されることなどは、期待するだけ無駄なのである。

(本編はここで終了です。このあとは、競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースなどを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

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