人はなぜ身分と学歴をまとう者にだまされるのか フランス超エリート校の廃止が持つエリートの意味

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民主主義社会では、その能力によって地位が決まる。その能力は、教育機関が行う試験によって決定される。有名大学を卒業し、キャリア官僚になったものには、まさに折り紙つきの名誉が与えられるからだ。こうして将来を保証された特権エリートの周りに、それにおもねる輩が集まる。

後進国家として、先進国家を猛追するにはこうした特権エリートの存在が効果的であったことはいうまでもないが、先進国家ではむしろ彼らはマイナスとなる。試験エリートは与えられた問題を解くだけのエリートであり、自ら新しいものを創造できるエリートではないからだ。

今ではこうした学歴エリートが、地方創生と称して地方にどんどん送りこまれ、地方を創生すべく県知事や市長に天下っている。中央の財政援助を得るために、中央の支店となり、水戸黄門の印籠よろしく上意下達で、地方を国家に従属させていく。これで地方が創生すればいいが、実際には地方の衰退は加速化しているともいえる。

尊大さを秘めた虎があちこちに

県知事や市長の多くが、中央政府の選挙支援で総務省や自治省の学歴エリートに支配されつつあるという事実は、日本がますます中央集権化していることを裏付けている。しかも、彼らは学歴エリートであることで、尊大さを秘めた虎になる可能性がある。この虎退治は簡単ではないのだ。

日本とよく似ているのがフランスである。フランスは、日本以上の中央集権とエリート主義の国家だ。

日産自動車を迷走に導いたカルロス・ゴーンは、こうしたエリートの1人だった。もちろん、日本と違ってフランスのエリートは文部省管轄の大学ではなく、省庁管轄のグラン・ゼコールの出身である。大学3年から入学するエリート校は、まさに狭き門である。

その中でも有名なものが、ENA(L’Ecole Nationale d’Administration 、国立行政学院)、エコール・ノルマル(L’Ecole Normale Supérieure、国立高等師範学校)、ポリテクニーク(L’Ecole Polytechnique、理工科学校)などである。

ナポレオンは近代社会の申し子で、身分や天命を信じず、科学と理性を重んじた。その結果、こうしたグラン・ゼコールというエリート学校を創設するに至る。これらの学校を卒業したものは、高く評価され、やがて学歴エリートとして社会のトップに上り詰めていく。

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