人はなぜ身分と学歴をまとう者にだまされるのか フランス超エリート校の廃止が持つエリートの意味

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フランス・パリの「ENA」入り口のプレート。2019年に廃止が決定され、2022年に新設の国立公務学院に統合された(写真・princigalli/GettyImages)

作家の中島敦に、中国の古典からとった『山月記』という作品がある。李徴という若者が詩人を志すが、その傲慢さがたたって、虎になったという話である。そこに次の言葉がある。

「人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣にあたるのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外見をかくの如く、内心にふさわしいもの変えてしまったのだ」

 

権力ゆえの魔物にとりつかれた政治家たち

ここでいう尊大な羞恥心とは、他人に対する臆病さゆえの傲慢さである。人は、時としてナルシストになり、尊大になる。パワハラでいま話題の、兵庫県知事の斎藤元彦氏などその典型といえるかもしれない。彼の答弁を聞いていると、李徴に似ているようにも思える。

しかし、こうした傲慢さは、この知事に限ったわけではない。権力という魔物に取りつかれることで、持ち前の心の中の猛獣が頭を持ち上げるからである。民主的に選ばれた首長が、いつのまにか独裁者になるというのは、よくあることだ。心の中にある猛獣が牙をむくのである。

まして李徴のように、試験によって選ばれたエリートならば、なおさらその自尊心は強く、猛獣的激しさは周りのものを足元に置き、奴隷状態にいたらしめる。

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