埼京線板橋駅、「軍需の街」玄関口からの大変貌 2025年で140周年、実現しなかった鉄道計画も

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工業が発展する一方、板橋駅の後背地ともいえる志村・高島平エリアには大規模な団地が造成された。とくに、1972年に入居を開始した高島平団地は日本を代表するマンモス団地として有名になった。

東京都は団地住民の足を整備する目的から、志村坂上―志村橋間の都電41系統を廃止して地下鉄路線を計画。後に三田線と呼ばれる同線は、当初は志村(現・高島平)駅から東武東上線の上板橋駅に接続して大和町(現・和光市)駅までを結ぶ計画だった。1968年に巣鴨駅―志村駅間が開業したものの、東上線方面には新たに有楽町線の計画が浮上していたことから、予定を変更。1976年に西高島平駅までの延伸を果たしている。

三田線の延伸は高島平団地から通勤・通学客を大量に都心部へと送り出すことにつながり、それは新板橋駅から板橋駅への乗り換え需要を増加させることにもつながった。

都営三田線 新板橋駅
都営三田線の新板橋駅とJR板橋駅は徒歩5分と離れているが、乗換駅としてアナウンスされている(筆者撮影)

池袋至近でも繁華街化はせず

こうした鉄道網の充実によって都市化を遂げた板橋区だったが、そのために「住工混在」という新たな問題が発生した。住工混在地域では、工場の騒音・振動・汚水・臭気などの対策が必要となる。板橋区は先手を打って1965年から公害係を設置して対策に乗り出していたが、抜本的な解決には至らなかった。

工都の名に相応しく、最盛期の板橋駅周辺には日本食料倉庫や住友セメント(現・住友大阪セメント)生コンクリート工場への専用引込線があったほか、周辺には日本通運や西武運輸(現・セイノースーパーエクスプレス)の倉庫も立地していたが、駅周辺の宅地化が地価高騰を招き、その煽りを受けて工場は郊外へ移転。問題視されていた住工混在は時間の経過とともに自然に解消された。それに伴い貨物輸送も激減し、1999年に板橋駅の貨物取扱は廃止された。

板橋駅西口
再開発事業が進む板橋駅西口(筆者撮影)
板橋駅 周辺
駅の東西を結ぶ道路は幅員が狭く、いかにも住宅地といった雰囲気(筆者撮影)

以降の板橋駅は副都心として発展を遂げる池袋駅から至近という好立地を活かしつつも、繁華街化の波が押し寄せることはなかった。2018年には新駅舎も竣工したが、現在も商業地と住宅地が入り交じりつつ、閑静な環境を保っている。

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小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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