日本政府の「西欧偏重主義」に日本人は飽きている 長崎平和式典「イスラエル招待しない」から見える感情
とはいえ、その意味で日本政府にとって、その椅子は最初から座り心地のいいものではなかったのである。
経済成長とともに欧米列強と肩を並べるようになり、列強の仲間入りをしたというのがG7に入ったということの意味なのだが、それは晴れて日本が西欧諸国の仲間になったということを意味していた。
一方で、日本はどこから見てもアジアの国であり、アジアの中で独自の政策をとらざるをえない国だった。とりわけオイルショックで欧米諸国に翻弄された日本は、日本を助けてくれたアジアの地域である中東諸国に対して、G6のようにイスラエル支持を鮮明にすることはできなかったのである。
西欧とアジアの間に落ちた日本の矛盾
G7が先進国連合というだけであれば、当時の日本の力からいって十分ふさわしい位置を確保していたが、一方でG7は西欧先進国連合=西側世界の連合であり、アジアに対して長い間支配してきた白人帝国主義列強の集まりでもあった。
日本はアジアの国である以上、環境の違う西欧諸国と行動をともにすることはできない。アジアにはアジアの論理があるからである。まして、先進国代表ではなく、アジアの代表国として日本が参加していたのだとすれば、なおさらそうした独立精神が要求されてしかるべきなのである。
この点に、すべての矛盾が表出している。G7という先進国連合が、西欧列強の連合であるとすれば、日本はアジアの代表ではなく、アジアを棄てて西欧列強の一員になるしかないということである。しかし、どうみても日本はアジアの代表なのである。
西欧とアジアとの間に落ちた日本の矛盾、この矛盾こそ日本が明治以後ずっと抱いてきた矛盾そのものであるといってよい。それは一種のアジアと西欧に分裂した精神分裂症ともいえるもので、日本はアジアにありながら、アジアではないという分裂に、つねに苛まれることになるのである。
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