日本政府の「西欧偏重主義」に日本人は飽きている 長崎平和式典「イスラエル招待しない」から見える感情

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1990年代に冷戦構造が崩壊した後、欧米諸国はアジアの経済大国・日本を目の敵にした。その結果、日本ではアジア回帰が起こった。それはあたかも大東亜共栄圏を提唱した1930年代の日本と同じような現象であった。

脱亜入欧を目指した日本は、ときに西欧崇拝とアジア蔑視、ときに西欧蔑視とアジア礼賛といった具合に大きく揺れる。

アジアから孤立し、アジアではない日本

当然ながら、日本は地理的だけでなく、文化的、人種的にもアジアである。西欧化はあくまで和魂洋才でしかない。しかし日本は、アジアの中でも孤立していてアジア的でない部分を昔からもっていた。

それが、アジアの中で唯一優れているという自負でもあり、またアジアとの友好関係を持たない、孤立国、ガラパゴスといわれる所以でもある。だから、あるときは欧米礼賛、あるときはアジア礼賛といった具合に、状況次第で針が大きく揺れるのである。

これについてオーストラリアの歴史家であるガバン・マコーマックは、韓国のエコノミストである金泳鎬の言葉として(『朝日新聞』に投稿した、「アジア市民社会目指し」(1994年5月5日))こう述べている。

「それによれば、日本は欧米とのあいだに問題が生じれば、つねにアジア主義の立場をとる。それでいて日本は過去、現在において近隣諸国に与えた影響の本質に目をむけようとせず、しかもこれらの諸国をたんなる『周辺諸国』としか考えていない」(『空虚な楽園』松居弘道、松村博訳、みすず書房、194ページ)

 

なるほど、日本の性格をよく見ている。「西欧がだめならアジアがあるさ」という一種の気軽さである。しかも、どちらに対しても、ご都合主義の中で揺れているということである。

和洋折衷ともいえるが、言い換えれば西欧でもなく、アジアでもない孤絶した世界を主張しているのだ。それが戦前の大東亜共栄圏という、空威張りであったともいえる。

大東亜共栄圏という発想は、西欧に対して説明できなかっただけでなく、アジアに対しても説明できなかった概念だったからだ。

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