日本政府の「西欧偏重主義」に日本人は飽きている 長崎平和式典「イスラエル招待しない」から見える感情

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しかし、長崎の平和祈念式典は政府の事業ではない。そのうえ、平和という文字を見る限り、残酷な攻撃をしているイスラエルの代表を長崎市が招待したくない気持ちは、よくわかる。しかも、その国際法規に対して、非西欧諸国の多くはそのダブルスタンダード的性格に怒りをもって、抗議しているのである。

少なくとも日本を除くG6の国はNATO(北大西洋条約機構)加盟国だ。だからG6がイスラエルを支持している以上、招待が拒否されれば行動をともにするというわけである。しかし、当然ながら日本はNATO加盟国ではない。また長崎市は、日本政府と違って長崎市なりの論理があってしかるべきである。

G7諸国が持つ奇妙な性格

明治以来敗戦まで、一貫して自由に発言することをモットーとした『東洋経済新報』の石橋湛山は、1960年にこう述べている。

「故にイエスかノーかは、時の政府の考え一つで生かすことにもなれば殺すことにもなる。この有利な立場に立ったとき、日本政府の取るべき態度はきわめて簡単明瞭に自国の憲法に依拠すればいい。これは当然であるとともに、アメリカを含む世界のいかなる国からの内政干渉をも断固として拒否しうる堂々たる建前であり、かつ世界平和への先駆者たるの使命を果たすものではないか」(『石橋湛山評論集』岩波文庫、275ページ)

 

もちろん、今問題になっているのは日本政府ではなく、長崎市の問題である。政府=市民ではない以上、市の自由判断はあってもいいのだ。そして、日本政府ではなく、日本国憲法にしたがって、長崎独自の判断をしたのである。

かりに政府と市とを区別したとしても、日本政府にとってすら解せないことが多くあるはずである。それは、G7の持つ奇妙な性格である。

もともとG7の提唱者であるフランスのジスカール・デスタン元大統領(1926~2020年、大統領在任期間1974~1981年)は、日本を除く欧米諸国の西欧同盟を模索していた。当然のごとく、日本は最初はそこに入っていなかったのだ。

1973年のオイルショックの後、石油価格の価格維持とドル体制の堅持を目的として設立された旧欧米列強による組織が、そもそもG6だった。当時の西ドイツを抜いてGNP(現在ではGDP=国内総生産)第2位だった日本は、西側経済の枢要国であったことで、そこに招待された。

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