これら2つの事例に共通するのは、あくまで都会から地方へのまなざしだということである。旅というのは、時間とお金を消費して行うものであるから、非日常度は高くあってほしい。古い列車がのんびり走っていて、その車窓に「日本の懐かしい風景」や「美しい自然」が見られたりしたら、非日常度は高いだろう。
しかし、列車は誰がために走っているのか。観光列車やイベント列車ではない、通常の定期列車は、都会のひとに癒やしを提供するためではなく、地元でそれを必要としている人のために存在していると私は考えている。旅先の列車で乗り合わせた高校生を、都会の人たちは「素朴」の一言にまとめがちだが、彼ら彼女らのためにその列車は走っているのだ。
旅情がほしければ全国チェーンのホテルには泊まるな
どこに出かけても同じようなショッピングセンターを見かけるとしても、根底には、土地ごとの、そして個々人の生活がある。同じように見えても、決して同じではない。「旅情」と表現しているものは、本当に「旅情」なのか。雑誌やテレビで見た光景を「旅情」と思っているだけであって、それをきれいにたどることができないことを「旅情がない」と言ってしまっているのではないだろうか。 旅情を「旅の楽しみ」であると解釈するならば、テレビの映像をたどるのではなく、自分から新しいものを見つけに行くものだと思う。
旅の話を人とするなかで、「どこに泊まるか」という内容に触れることは多い。私の持ち合わせているサンプル数は少ないが、全国チェーンのビジネスホテルを挙げる人はそれなりにいる。もちろんなかには、各地のそのチェーンホテルに宿泊することが目的という、乗りつぶしならぬ「泊まりつぶし」を実践している人もいるけれど、それは特殊な例である。「どこでも同じだから安心して泊まることができる」という理由のほうが圧倒的に多い。ただでさえ不安の多い旅先では、宿くらい安心感あるところがいいということである。しかし、「車窓がどこも同じでつまらない」と嘆く人が「安心できるチェーンホテル」に泊まるというのは矛盾を感じてしまう。
もし、その土地ならでは、を感じたい旅であったら、たとえば地場のビジネスホテルに宿泊することを強く推したい。なぜ強く推しているのかというと、私が個人的に実践しており、なおかつ非常に楽しいからである。ただし安心感はまったくない。部屋の構造はチェックインをして初めて分かるし、朝食の仕組みもホテルごとに異なる。時には門限も設定されていたりする。1つひとつを確認しつつの滞在にはなるけれど、土地ごとどころではない、ホテルごとの違いがわかりやすく見えてくる。「地元の人との交わり」を旅に求める人もいるだろう。地場のビジネスホテルでは、ホテルの方と世間話をする機会にも恵まれたりする。
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