もちろん、この二つしか選択肢がないというのでは情けない。本来必要なのは、利用者の囲い込みではなく、性能と価格での競争だからである。この問題を考える際に、20年ほど前にPCで起こった変化を想起することは有用だ。
PCではガラパゴス化が崩壊して敗退
第16回で述べたように、1980年代には、日本のPCの国内専用機化が顕著に進展した。そして90年代になってそのビジネスモデルが崩壊し、日本メーカーは敗退してしまったのである。この背景を、もう少し詳しく見ておこう。
世界のPC市場では、80年代後半から、IBM互換機(PC/AT互換機)がデファクトスタンダードになっていた。しかし日本では、日本語の表示や入力を高速化するため、日本語処理をハードウエアのレベルで行う方式がとられた。つまり、「日本語」という日本人のニーズに応える機器になった。海外で生産されたPCは、日本語処理の能力が低いとされ、日本ではほとんど売れなかった。今の言葉でいえば、PCの「ガラパゴス化」が進んだわけだ。
そうした中で、NECの9801シリーズが独占に近い状態を実現した。いったん9801を買えば、買い換えるときも再び9801にならざるをえなかった。つまり、利用者は囲い込まれたわけだ。9801は「国民機」とさえ呼ばれた。
ところが、90年代になって、ハードウエアの性能が向上したため、日本語表示をソフトウエアだけで効率的に行えるようになった。こうして、世界標準であるIBM互換機との競争が激化した。安価で高性能な外国製品が日本市場に流れ込み、「PC98 対 DOS/V戦争」と呼ばれた事態が発生した。
象徴的だったのは、92年の「コンパックショック」である。国産機が40万円程度だったところに、コンパックが10万円台のPCを投入したのだ。国内メーカーも、これに対応して価格を下げざるをえなくなった。つまり、もはやガラパゴス化を続けることができなくなったのだ。こうして国産PCの優位性が崩れた。