東芝「不適切会計」とは、何だったのか 1500億円以上の利益をカサ上げした背景とは
その佐々木社長に対し、プレッシャーをかけていたとされるのが、西田会長(当時)だ。収益改善目標を表す「チャレンジ」は西田氏が社長時代に頻繁に 使っていた用語。リーマンショック直後の2008年度第3四半期、西田氏の意を酌んだPC社は前述した部品の押し込み販売で、184億円の営業赤字に陥りそう だったパソコン事業を、5億円の黒字にまで劇的に“改善”させた。
佐々木氏を後任社長に選んだのは西田氏なのだが、時を経て意見の違いが表面化。「会長になって耳を貸すより意見することが多くなった」(別の東芝 OB)と佐々木氏の手腕に疑念を抱いていった。西田、佐々木両氏とも、「気が強い者同士で合わない」というのが、二人を知る者の一致した見方である。
さらに不適切会計の“連鎖”は、田中社長にも受け継がれていく。田中氏は社長就任前の1年間、佐々木氏の下で全部門を見る、経営企画を担当。就任後も経営方針説明会で何度も「コミットメント(必達目標)」を強調した。
2013年9月には田中社長がカンパニー社長を前に「テレビ事業の黒字化は公約。ありとあらゆる手段を使い、黒字化をやり遂げなければならない」と明言。ほかにも「テレビは何だ、この体たらく」(2014年3月)、「現法は全員解雇し全面撤退するしかない」(同6月)と、叱責の嵐だ。結局、前任者からの圧力をはね返そうと、自分の部下にプレッシャーを与えていたのは、歴代社長ともに同じ構図である。そこに「上司の意向には逆らうことができない企業風土」(第三者委)が重なってしまった。
崩れた原発、半導体の二本柱
不適切会計が始まった原因として、東芝自身の収益構造悪化も見逃せない。
とりわけ2008年度は東芝にとって、最悪ともいえる状況だった。2008年秋にはリーマンショックに伴う金融危機を受けて世界景気が暗転。東芝も2008年度 には3435億円と、過去最大の最終赤字を計上した。それに追い討ちをかけるかのように、2011年3月には東日本大震災が襲った。
東芝は西田社長時代の2006年ごろから、「集中と選択」を強く推し進めており、半導体と原子力発電所事業の二つに集中投資。2006年にはWHを54億ドル(当時約6300億円)で買収している。しかし、2011年に発生した東京電力・福島第一原発事故後、国内における原発新設は絶望的となり、成長柱として期 待していた原発事業への望みが断たれた。といって半導体事業のほうも、シリコンサイクルで浮き沈みが激しく、安定的に収益が得られるわけではない。
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