東芝、西室相談役"フライング発言"の意味 経営刷新委員会の人選を事前に公言
日本郵政の会見で西室氏は今後の東芝トップについて、「私のほうにも手を挙げている方がぼちぼち来ています」とも話した。火中の栗を拾って実績を作ろうとするプロ経営者が売り込みに来たのだろうか。それとも意欲のある社内幹部がアピールしているのか。いずれにしても、今の東芝の”顔”が誰なのかを示すエピソードだろう。
西室氏は東芝の中ではきっての国際派トップ。1990年代前半のDVDの規格争いで、ソニー・フィリップス連合を打ち負かした実績が買われ、1996年に8人抜きで社長の座についた。海外経験が長く非重電の営業畑を歩んだ西室氏が抜擢されたことで、東京大学卒・重電畑というトップ人事の慣例がこの時に崩れた。
「公のためにお手伝いする」
社長就任後は、米国流の経営を積極的に取り入れ、1998年には執行役員制を導入して取締役会を少人数化。1999年には社内カンパニー制を敷いて、経営判断の迅速化を図った。2005年に相談役に就いてからは、経団連副会長を務めながら東京証券取引所のトップに就くなど、多くの要職を務めた。
2012年に郵政民営化委員会委員長に就いたところ、その1年後には「ほかに社長をやる人がいない」と、日本郵政社長を頼まれた。当時、西室氏は「最後のご奉公だと思って決心した。私の出身は東芝だから、伝統として公のためにお手伝いする精神は持っていた。大先輩の土光敏夫さんが経団連会長になったのは、私と同じ77歳の時。それで日本郵政の社長を引き受けた」と語っている。
東芝相談役として丸10年が経過したが、今でも週に一度は本社(東京・港区)に足を運ぶ。西室氏が使うのはかつて土光氏が使っていたという由緒ある部屋だ。