ただね、私の性格からして、企業に入って長くやっていけるとは正直、思っていなかったんです。仕事を誠心誠意貫くためには、上司に食ってかかることもいとわない。そういう私のようなわがままな人間は、企業の中で長続きするわけないんだ、2年くらいでクビになるだろう。だったらそれまでの間、思い切り、研究に打ち込もう――そんな気持ちでした。
そういう自分の中の欲求を無理に抑え込もうとすると、体調が悪くなっちゃう性分なんです。ちょうどそのとき、テルモが最新の研究開発センター内に新たに医科学研究所を設立し、国内外から人材を募集していることを知って、もう運命的なものを感じて。これは転職するしかない、と(笑)。
なりたくてなりたくて、ようやくなった心臓外科医なんですけどね。
――それで研究者への転身を決意したんですか。それは何歳のときだったのですか。
39歳です。
「キャリアダウン」と反対された39歳での転身
――40歳目前での大きなキャリア変更は、かなりの冒険ではないですか。
普通ならその年齢で大きな転身はしないと考える人が多いようですが、私はあまり年齢のことは気にならない性質なんです。それに、本当にやりたいことが見つかったのなら、その夢は簡単にはあきらめたくはない。
テルモでのキャリアは、正社員としてスタートしたわけではありませんでした。「研究開発センター客員研究員」という不安定な立場でしたが、それは別に気にならなかった。
甘ったるいことを言っているように思われるかもしれませんが、仕事をするうえで「夢」ってとても大事だと思うんです。このときの私の夢は、「新しいタイプの人工心臓を開発する」ということ。その目標があったから、研究者になってからも経営者になってからも、がむしゃらに頑張れたんですね。
だから、最近の若い人たちを見ていると、ちょっと可哀想だな、と思うんです。
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