夢を掴め!未来は何歳からでも変えられる 39歳で心臓外科医を辞める決断ができたワケ

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――野尻さんにも挫折があったんですね。

もちろん。というか、挫折だらけですよ。夢はそう簡単には実現しません。でも努力して目指す価値は十分あるし、たとえ失敗してもその努力は決して無駄にはならないんです。夢破れた後に、また新しい夢が見つかることもある。

夢を摘み取る大量のネット情報

科学者の夢を捨てた私はその後、心臓外科の世界に進みましたが、心臓というのは言ってみればポンプですから、物理的思考が非常に役に立つ分野なのです。心臓外科医になって、あらためてそのことを実感しました。夢破れても、本気で挑んでいけば、思わぬところでつながったりもする。

だから、ネットで簡単に大量の情報を手にできてしまうために、変に冷めてしまう若者が可哀想なんです。

私たちの時代は、情報が少なかったから、夢を見つけたらとりあえずぶつかってみる、というのが当たり前の“作法”でしたからね。

――それにしても、39歳のときに医師から研究者になり、人工心臓の開発という新しい夢を追い始めるというのは驚きです。

私には特別な才能はないと思っています。高校時代も大学時代も、特別、成績がよかったわけじゃない。

ただ、もしかしたら私は、夢を本気で見る力とそれを実現しようという執着心が少しだけ強いのかもしれません。だから39歳から大きなキャリア変更があっても、けっこう頑張れた。

夢は何歳になっても持っていたほうがいいと思います。もちろん、ある程度の現実感も持っていなければなりませんが。

何も気宇壮大なものでなくていいんです。公務員になりたいとか、出世して部長になりたいといった夢だって十分です。目標があると人間はすごいパワーを発揮するし、失敗の中から新しい何かを見つけることもできる。

だから、若者にも、若者でない人にも、何か目標を持って、そこに向かってがむしゃらに努力してほしいと切に思います。

野尻 知里 元テルモハートCEO

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のじり ちさと / Nojiri Chisato

1952年生まれ。大阪府立北野高等学校を卒業したのち、京都大学理学部に入学。卒業後の進路が「学校の先生」か、「お茶汲み」しかないという現実にぶつかり、京都大学医学部を受験し直し、再入学。その後、小倉記念病院、熊本赤十字病院、東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所などで、心臓外科医としてのキャリアを歩む。
1986年に医学博士号取得、同年から1989年まで米国ユタ大学に留学。
1991年よりテルモ株式会社で人工心臓の開発に従事。2003年に同社米国法人テルモハート社長兼CEOに就任。プロジェクトは4人のメンバーからスタートし、数年後には12カ国約150人の部下を束ねるまでになる。
日本イノベータ大賞(2007年)受賞、日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2008」で総合ランキング1位。
現在は東京大学COI(センター・オブ・イノベーション)研究推進機構で、国民の健康増進を目指す国家プロジェクトの副機構長を務める。
プライベートでは42歳で出産を経験し、一女の母。

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