もうひとつは、「仕事をやり切った」ということ。中学生の頃に掲げた「東京オリンピックの取材をする」という目標も叶いました。東京オリンピックの閉会式の会場で、「ARIGATO」の文字が電光掲示板にぱっと表示されたのを見た瞬間に、「あ、もうやり切ったから辞めよう」と思ったんです。
そして3つ目は、我が家の場合ですが共働きの限界を感じてしまったこと。私は報道、夫は金融と、お互いにハードな仕事。家族単位での幸せを考えたら、お互いに今の働き方を続けるのはサステナブルじゃない。話し合いの中で、性別役割分業(女性だから家庭に入るなど)の視点はなく、そろそろ「どちらかが家庭、どちらかが仕事」メインという生活にシフトしたほうがいいよね、という話になりました。
そして、偶然の出来事もありました。「辞めよう」と決めたはいいものの、なかなか会社に言い出せずにいたのですが、緊急会議でチームの組織改革が発表されたのです。
さらに、そのミーティングの5分後に 妊娠検査薬で検査をしたら、3人目の妊娠がわかりました。その時は、「神様はなんてシナリオを準備してくれてるんだろう」と思いましたね(笑)。
人生で初めて、焦りがなくなった
ーーキャリアブレイクの期間は、どのように過ごしていたのですか?
吉田:子どものための生活にシフトしました。今までできなかったこと、例えば子どもと工作をしたり、カップケーキを作ったり、ママ友を作ったり。いわゆる“フルタイムママ”ですね。
一番情熱を注いだのはPTAの活動かもしれません。「やってほしい」と声をかけられ、PTA会長をやることになったのですが、すごく忙しくて。「仕事を辞めたのに、なんで深夜にメールチェックをしてるんだろう?」と思いましたね(笑)。
ーーなにか印象に残っているエピソードはありますか?
吉田:キャリアブレイクをとって一番「幸せだな」と感じた瞬間は、子どもの送迎をしていたときです。
それまでは、仕事と家の間の通過点でしかなかったので、「早く!早く!」と子どもを大声で常に急かしていました。キャリアブレイクをとってからは、徒歩3分ぐらいの距離を15分、20分くらいかけて歩く余裕がある。すると、子どもと話しながらゆっくり歩いているときに、「この選択をしてよかったな」という気持ちが湧いてきたんです。
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