林さんは、1993年に富士通子会社の株式会社ジー・サーチに入社。当時同社は「InfoWeb」という富士通のプロバイダー事業の運営に関わっていたが、1999年に複数のプロバイダーを「@nifty」に一本化することになり、林さんはその運営母体であるニフティへと出向する。
それから約1年後、プロバイダー事業の統合が完了すると、林さんはジー・サーチへ帰還するように求められた。しかし、入社時と業態が大きく変わった同社ではなくニフティに残りたいと考え、転籍を願い出る。
その後はニフティで旅行サイトの制作に携わることになったものの、これが肌に合わず、林さんにとって辛抱の日々が続いた。
「しばらくはサラリーマンっぽくまじめにやっていましたが、ある日決意して会社に『この業務はやめさせてください』と言ったら、本当に仕事がなくなっちゃって(笑)。それで、2002年から『デイリーポータルZ』を立ち上げることになったのです」
そんなふうに切り出した林さん。受け答えも終始飄々としていて、実際かなりのテキトー人間に見えなくもないのだが、その裏側には、綿密な努力や計算を積み重ねている一面もあるのだ。
ネット黎明期、「趣味」で作ったサイトが大ヒット
実は当時から、林さんにはある種の「勝算」があった。林さんはデイリーポータルZを立ち上げる何年も前から、個人で人気サイトを運営してきた経験があったからである。
さかのぼること今から20年前。まだ「インターネット黎明期」と呼ばれていたその時代に、林さんは「東京トイレマップ」という個人のウェブサイトを立ち上げていた。
「トイレマップ」は、東京都内のどこにあるどのトイレがきれいか、洋式か和式か、ウォッシュレット付きかそうでないかなど、ただひたすらトイレの情報を紹介するというもの。デイリーポータルZの精神へとつながる、どうでもいいことをどうでもよくなくなるレベルまで徹底的に追求する林スピリッツ満載のこのサイトが大ブレイクし、テレビをはじめ多くのメディアで取り上げられた。
個人レベルでそんな「趣味」を持ち合わせていた林さん。会社サイトよりむしろ個人サイトのほうが多くのアクセスがあるという状況を利用し「当時の上司に、僕個人の顔や名前を出して記事を書けば、個人サイトに張るリンクから流入が見込め、PVも伸びるんだと説いて、デイリーポータルZを始めたのです」
まさに“公私混同”ならぬ“公私融合”の発想である。
ただし林さんは、決してワガママ放題、好き勝手をしてきたわけではない。少しでも読まれるサイトにするため、テキトーに見える芸風の水面下で、しこしこと策を積み重ねていた。
「僕はエンジニアではないのですが、仕事柄HTML(ウェブサイトを構築するためのコンピューター言語)に接する機会があり、自分でホームページのつくり方を覚えました。でも、当時ホームページを作るのはエンジニアの仕事だったのです。
営業として毎日注文の申込書をつくるような仕事をする横でエンジニアがホームページをつくるのを見ていると、『自分だったら、もうちょっとおもしろいのを作るのに』なんて思いが湧いて、だったら自分でやってみようと、結局合間を縫って自分でも作るようになりました」
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