大谷翔平が「世界一」と紹介"もちもち"ヨーグルト 岩手・岩泉ヨーグルト 誕生秘話と苦難を聞く

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岩泉HDがある岩手県岩泉町は、北上山地の山あいにあり、初夏には冷たいやませが入り込む貧しい土地だった。その代わりに高原を利用した農耕や輸送に使う牛の生産が盛んになり、明治時代初頭には酪農が始まった。

岩泉町内で飼育されている乳牛
岩泉町内で飼育されている乳牛(写真:岩泉ホールディングス提供)

山下さんの家にも10頭の牛がいた。「かわいがっている牛に元気がないと心配でたまらない。牛は家族同然でした」。反面、思春期には都会にあこがれた。しかし16歳のとき、父親が木の伐採中の事故で急死。「いつかは都会に」という山下さんの望みは打ち砕かれた。

長男として家族を支えるため、大学進学を断念し、岩手県外での就職も諦めた。「これも運命なんだな」。専門学校で農業を学ぶと岩泉町の農協に就職した。

安定した農協職員から"町の起爆剤"3セクへ

それからは農協職員一筋30年。経営者になるなど考えたこともないサラリーマンだった。26歳で結婚し、子どもは3人。酪農家の牛舎を回り、生産性向上の指導をする毎日を送った。

一方、酪農をめぐる環境はにわかに厳しさを増していた。平成に入ったころから、乳製品の輸入自由化などで価格競争が激化し、乳価は低迷。町でも酪農家の廃業が相次ぎ、軒数は最盛期の半分以下にまで減少した。

この危機を脱するため、岩泉町が町を挙げて取り組むことを決めたのが、町内で乳製品の加工までを行う、いわゆる「六次産業化」だった。

それまでは大手乳業メーカーに原料の生乳を販売し、生産者のもとにその売上が残るだけだった。しかし町内の工場で牛乳やヨーグルト、アイスクリームといった商品に加工すれば、新たな雇用が生まれるなどし地元の経済を活気づけるに違いない――。まだ六次産業化が珍しかった時代、岩泉町の取り組みは「起爆剤」として大きく報道された。

この一大事業に山下さんも農協職員として関わった。「私自身も岩泉の酪農が生き残るためには六次化しかないと思っていました」。酪農家の家々を回り、事業の必要性を説き、出資金を出してくれるよう頭を下げて歩いた。

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