高円寺にだけ存在する「なんか自由な感じ」の正体 若者だけでなく中年にも居場所がある安心感

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東京でこういうのってありなんだ。東京は、とにかく土地が狭くて高くてお金を払わないと何もできなくて、路上で宴会、みたいなちょっと人と違うことをするとすぐに「人に迷惑をかけるな」と怒られる場所だと思っていたのだけど、高円寺ではみんなずいぶん自由にやっているように見える。「高円寺はこういう街だからしかたない」とみんなが思っているせいだろうか。いいね。本来、街というのはこれくらい自由度があるべきだと思う。

ここに来るといつも、京都の鴨川の河原を少し思い出す。便利な場所に広場があって、お金を払わなくても自由に使ってよくて、みんなが酒を飲んだり楽器を演奏したり、特に何もせずにぼーっとしたりしている感じが似ているのだと思う。

もっとも、鴨川は静かで緑があって遠くには山々が見えるのに比べて、高円寺の北口はコンクリートだらけで騒がしくてギラギラとしたビルに囲まれているから、全然雰囲気は違うのだけど。高円寺の北口に鴨川の河原が広がっていたらいいのにな。

歌を本気で聴かせたい弾き語りの人は、ロータリー広場ではなくガード下のあたりによくいる。大体2組くらいがいつもいて、少し距離を取って座って歌っている。

ガード下は最近ちょっと再開発が行われて綺麗になったけど、まだまだ闇市みたいなボロくて胡散臭いエリアが残っていて、飲み屋が路上にたくさんテーブルを出していていつも酔客で賑わっている。

街には楽器を持っている人やタトゥーが入っている人がやたらと目につく。

中年にも居場所がある

若者ばかりではなくて、中年以上の年齢で、胡散臭い感じの見た目の人が多いことが、自分のようなふらふらした人間を勇気づけてくれる。年をとってもそういう感じでいいんだ。高円寺にいれば、ずっとちゃんとしないままで生きていけるのだろうか。駅前広場で上機嫌で缶チューハイを飲んでいる、自分より一世代上のおっちゃんたち、それを目指すべきなのだろうか。

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