高円寺にだけ存在する「なんか自由な感じ」の正体 若者だけでなく中年にも居場所がある安心感

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30代くらいの女性がひとりでやってきて、15分ほど店内を見たあと、人生相談の本と台湾の本を買っていった。

本屋にふらっとやってくる人は、差し迫った切実な悩みを抱えているというよりは、何かちょっと面白いものや、日常に刺激を与えてくれるものを求めていることが多いように思う。

本屋でぶらぶらと本棚を見て回るうちに、少しずつ心の中が整理されて、自分が何に興味を持っているのか、自分の悩みとはなんだろうか、というのを自覚していくのだろう。

本屋で店番をしていると、そういう瞬間にたくさん立ち会えるのが楽しい。

危機感を持つ「回路」が壊れている

ここ数年、貯金は減り続けている。大して仕事をしていないからだ。

普通はこういうときにもっと焦るものだと思う。だけど、なぜだか焦る気にならない。危機感を持てない。多分そういう回路が壊れているんだと思う。

貯金があと半分くらい減ったらさすがに尻に火のようなものがついてきて、「そろそろ真剣に考えないといけないな、人生とか」という気持ちになるのではないか、とぼんやりと期待しているのだけど、実際にそのときになったら「さらに半分くらいになるまで意外と平気だな」となりそうな気もする。

そういえば昔は、「何か本を出しませんか」というオファーが年に数件あったけれど、最近はあまり来なくなった。それは出版不況のせいではなく、書き手としての自分の問題だろう。自分自身がそんなにぱっとしない存在になってきているのをなんとなく感じる。まあ、今まで10冊くらい本を出してきて、大体のことは書いてしまって、そんなに書きたいこともなくなってきた、というのもある。

いや、そもそも仕事としては、書きたいことがあるから書くというのではなく、需要のあるものを書く、というのが正しいのだろう。

電力会社の人が全員電力に興味があるわけじゃないだろう。就職して大学職員をやっていたとき、学生の成績表の管理なんて何も面白くなかったけど、自分以外のみんなは淡々とこなしていた。好きとか嫌いとかではなく、求められることをやるのが普通の仕事なのだ。

でも自分にはそういうのがうまくできなかった。自分の興味のあること以外ができないからこんなよくわからない人生になって、高円寺によくいるずっと好きなことだけやってきてそうな職業不詳の胡散臭いおっさんたちに憧れてしまうのだろう。

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