草笛光子「美しすぎる90歳」勇気をもらえるその姿 主演映画がシニアのみならず50代にも刺さりまくり
吉川は何度断られても、差し入れとともに突撃してくる。足で仕事を取りにいき、佐藤愛子は万年筆と原稿用紙でエッセイを書くのだ。そして吉川は、そのやりとりの中で、家族に対しての関わり方を反省していくに至るのである。
生きにくい2人が昔ながらのガチンコ対面方法で、ヒットを生んでいく。人生を復活させる。映画パンフレットに、脚本家の大島里美のコメント「時代遅れの二人の逆襲」と大きなフォントで書かれていたが、まさに。
自分のやり方で青春を取り戻すそのプロセスは、本当に勇気をもらえる。
佐藤愛子の「愚痴」が痛快な理由
映画の原作は、佐藤愛子のエッセイ集『九十歳。何がめでたい』とその続編『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』である。1冊目が2016年に小学館より単行本が発売されて以来売れ続け、今やシリーズ累計発行部数が180万部を突破している。
もう前向きもヘッタクレもあるかいな。チッ、面倒くさい。毎日が天中殺。愚痴のキレがよくて、クスクスとページをめくる手が止まらない。失敗談や時代の変化に困惑する佐藤愛子の愚痴は、自分の母と重なり、日々軽くあしらっている自分に、罪悪感が顔を出したりもする。
ただ、佐藤本人は「特に新しいことを考えて書いたわけでも、何か特別な思いを込めたものでもなく、相も変わらず憎まれ口を叩くという、そんな気分でしたかね」と語っている。
憎まれ口でもスカッとするのは、明るい本音だからである。逆を言えば、SNS時代はすっかり、何をするにも、何を言うにも、責任の所在を考え、グルグルと「そこそこ好感度を保てる着地点をさがす」クセがついていたと痛感する。
言っても差し支えのない程度の本音すら、心の奥に置き去りにしてしまっていて、それを佐藤愛子が代弁してくれているように思えるのかもしれない。
養老孟司氏は、「90万部『九十歳。何がめでたい』が売れる時代に危惧」(『女性セブン』2017年7月20日号)という記事で、「叩かれそうで怖いから本音を言わない」という現代の風潮とこの本の大ヒットをからめ、
「『佐藤さんだから言える』と言って、他人に言うのを任せてはいけません。みながそう思っているから、世の中がこうなってしまう」
と語っている。
確かに、このボヤキ力、読んで笑うだけでなく、倣ってどんどん実践していくべきかもしれない。
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