リアル「虎に翼」英国女性が法曹界で抱えた苦悩 弁護士になるまで31年、生涯男装の女性医師も

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1867年にタイプライターが発明されたとき、女性が扱うには複雑すぎると考えられていた。しかし100年後の1960年代後半、いまでは恥さらしとなったオリベッティの広告では、ブロンドの美女がタイプライターの前に座り、こんなキャプションが添えられていた。

「タイプライターがこれほど有能なら、女性は賢くなくていい」。

皮肉なことに、広告の女性は賢いなんてものではなかった。彼女の名はシェア・ハイト。有名なコロンビア大学で歴史学の博士号をとるための費用の足しにしようと、モデル業を始めたのだった。

ハイトは、タイピングのスキルがすぐれているからオリベッティに選ばれたのだろうと思っていて、自分のイメージがどういうふうに利用されたか、あとになって気づいた。

最後に笑ったのはハイトだった。著書『ハイト・リポート 新しい女性の愛と性の証言』(パシフィカ、1977年)は5000万部を売り上げ、女性が自分の体に対して抱くイメージに革命を起こした。

女性が知的に劣っているという観念は生物学的な事実だと考えられていたが、この観念が薄れはじめてもなお、女性をめぐる生物学的価値観は、私たちに不利なように利用された。大学の講義のあいだじゅう座っていることは、子宮に何らかの影響を与え、乳腺を枯渇させるのではないかと思われていた。

弁護士として認められるまで31年

1888年、イライザ・オームは、イングランドの女性として初めて、法律の学位をユニバーシティ・カレッジ・ロンドンから授与された。オームは、女性はもっと権利を主張すべきであり、高い収入を得られる職業の機会が女性にも開かれるべきだと信じていた。

しかしオームは、事務弁護士として働くことを法的に認められるまで31年待たなければならなかった。

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