年商1億円も「閉店発表」ラーメン店に起きた奇跡 拡大の中で感じた虚しさと、再出発で掴んだ幸せ

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今年のヒット番付にも入った「TKM(たまごかけ麺)」の関西での火付け役は「桐麺」といってもいいだろう。

「冷やし桐玉」
大ヒットした「冷やし桐玉」(筆者撮影)

その人気とともに社員が育っていき、桐谷さんがお店に立たなくてもしっかり回るようになっていた。桐谷さんの仕事は自ずとラーメン職人からマネージャー業に代わっていったのだ。

年商は1億円を突破していたものの、生涯ラーメン職人を目指していた桐谷さんはなにか虚しさを感じていたという。

弟子たちが独立を志願していたこともあり、ここで閉店をし、地方で夫婦二人で再出発することを決めたのだった。

この「桐麺」の“計画的サヨナラ”が話題となり、常連客を中心に7月の閉店までたくさんのファンたちが行列を作った。桐谷さんは大阪のお店の閉店と、兵庫県加西市での新たな門出の準備をしていた。

常連客「どうにか本店だけでも…」

しかし、このままでは終わらなかったのだ。計画的サヨナラを発表した後、「どうにか本店だけでも残してくれないか」という声が常連客から多く上がり、桐谷さんは大阪の店を残すすべがないか考え始めた。

「JET」時代の後輩で、多くの飲食店を展開する知人の松井利也氏に相談すると、桐谷さんが味の監修・チェックをする前提で受け継いでもらうことになった。こうして株式会社桐麺JAPANが立ち上がった。神崎川の本店は閉店することになったが、十三にある支店を残せることになった。

今までの桐谷さんが自ら仕込みをするやり方とは別で、セントラルキッチンで味づくりをし、麺も製麺所で作れる方法を模索した。桐谷さんが横山製粉と共に開発した「スーパー桐麺粉」を使い、特殊な製法で麺を打ってもらった。

「今までは一から十まで自分で作ることにこだわり続けてきましたが、『桐麺』を食べたい人が本当に多く、喜んでくれる人がいるならば、体制を整えてしっかり『桐麺』の味を存続させ、大阪のお店は残すべきだと考えたんです。月一で味のチェック、麺のチェックを欠かさずやっているので、良いクオリティで出せていると思います」(桐谷さん)

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