精神科医が「高校生の患者」にする質問の中身 心理的な葛藤が体の症状に出ている場合には…

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SNSのことから派生して、例えばどんなYouTubeをみるのか?といった質問が、ときに患者と手を組む際に役立つことになる。思春期診療をする際に、我々医師が果たすべきは結局親でも教師でもないnew object(片山、1969:小此木、1976:乾、1980)として機能することであり、もちろんこれは、意図的にそう振る舞うこととは区別されるわけだが、例えば本人は大好きだけど大人はよく知らないマイナーなYouTuberやアニメの声優、K-POPアイドルなどを医師がよく知っていれば、それだけでちょっとこの人は違うかもしれない、分かってくれる人かもしれないという印象を抱かせるかもしれない。

「頼りになる人」になることの弊害

思春期くらいだと、世界が学校と家しかないことがしばしばあり、学校で人間関係がうまくいかず、親にも分かってもらえないと思った瞬間に、簡単に追い詰められてしまう。内科外来には、追い詰められて具合が悪くなった瞬間の思春期患者がやってくることが多く、ある程度こじれにこじれてから来院することもしばしばある精神科外来とはそこが異なるような気がしている。

なので「大丈夫や、あんたのことは俺が分かっとるで、そのまま突っ走れ!」と謎のエセ関西弁を喋る、家でも学校でもないけど頼りになる人として医師が一時的に機能すれば、本人を取り戻してまた元の生活に戻っていける患者が多いのである。

とはいえこのやり方は諸刃の剣とも言えて、思春期患者に同一化しながら診療する態度は、必要以上に患者を退行[幼児的になること]させ、医師自身の未解決の葛藤に患者を巻き込んだり、逆に患者の葛藤に巻き込まれたりしやすいことが知られているし、実感としても十分感じていることである。

例えば反抗期がなかった子と聞くと、大人になるまでずっといい子だったよねーみたいな話になりがちである。私自身も小さい頃から菓子やカクレンジャーの人形がほしいあまり道で寝転んで買って買って買ってー!!と叫ぶ、みたいなことは一切しておらず、また今度ねと言われたら100%素直に応じていた。もはやそういう記憶もしっかりある。

中高時代は周囲全員の顔色を窺って、親にも教師にも友人にも好かれるように振る舞っていた。その頑張りの副次的な産物として、激烈に成績が良くならざるを得なくなり、現役で公立大学の医学部に合格したわけで、だからこそ今の自分があることは間違いないのだが、とはいえ自分は反抗期を通過していないのだなということについて、つい考えてしまうところはある。

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