「フェルマーの最終定理」は、序章にすぎない 青木薫が「数学の大統一に挑む」を読む
こうしてアメリカに渡って数学に邁進するフレンケルだったが、心の奥底では、初恋の相手である量子物理学を忘れたことはなかった。やがて彼はその相手に思わぬ再会を果たす。見違えるほどに成長した両者の出会いは感動的である――それはいろいろな意味で、奇跡の再会だ。
第十七章に現れるジャン-ピエール・セールの次の言葉は、本書のひとつのクライマックスと言えるのではないだろうか。「アンドレ・ヴェイユは物理学をあまり好きではなかった。しかし、もしも今日彼がこの場にいたとしたら、この物語の中で量子物理学が重要な役割を演じているという、きみの意見に賛成したと思うよ」
すべての惑星をつなぐものはあるか?
さて、本書を織りなすもう一方の糸――「諦めない」という意志によって紡がれた横糸――は、数学の大統一という壮大なテーマである。ラングランズ・プログラムは、二十世紀の後半に登場した数学的概念のなかでも、もっとも重要なもののひとつだと言われる。数学には、数論、幾何学、解析学などさまざまな分野があり、長い歴史のなかで徐々に細分化が進んで、異なる領域で研究する数学者たちのあいだでは、使う言葉までも通じないような状況になっていた。たとえて言えば、異なる「星系」に属する惑星上で、それぞれ別の生き物が独自の暮らしを営んでいるようなものだ。ところが、一見何の関係もなさそうに思える領域のあいだに、不思議なつながりがあることがわかってきたのである。いったいなぜそんなことが? フレンケルは、もしかすると数学のすべての領域をつなぐ、何か普遍的な構造があるのかもしれないと言う。その数学の大統一を目指す試みが、拡張されたバージョンのラングランズ・プログラムである。
しかし現代数学のそんな最先端の話を、はたして一般向けの読み物にできるものだろうか? 数学の異なる領域間のつながりを語る以上、当然ながら、多彩な概念が出てくる。ガロア群、多様体、カッツ・ムーディー代数、ヒッチン・モジュライ空間、Dブレーン、層、圏、等々。どれひとつをとっても、相当にハードルが高い。全部となれば、数学者を相手にしてさえ、かなり骨のある話題になってしまうだろう。
しかし、フレンケルは諦めない。彼は、きっと伝えられると信じている。その信念を支えるのは、数学は信じられないほど美しいという事実だ。数学には、美術や音楽と共通するものがある。油絵なんてただの一度も描いたことがないという人でも、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の前に立てば、きっと心を動かされるだろう。楽譜を読んだり楽器を演奏したりするのは苦手でも、音楽が大好きだという人はたくさんいる。それと同じように、たとえ数学者のように理解することはできなくても、数学の魅力はきっと感じ取ってもらえる。そう、彼は確信しているのである。
しかし、具体的にはどうすれば? フレンケルはそのための方法を懸命に考えたことだろう。そして彼が持ち出したのが、ヴェイユのロゼッタストーンだった。それを選んだことが、本書の成功の鍵だったと私は思う。異なる言葉をつなぐこの石版のイメージを拠り所に、私たちは抽象的な数学的概念のつながりを思い描いていく。そうして本書を読み終えたとき、あたかも人工衛星から地球を眺め下ろしているかのように、ラングランズ・プログラムの壮大な眺めが、読者のみなさんの心に浮かんだのではないだろうか。青い惑星の上に、白い雲が広がり、その雲のあいだからいくつかの大陸がのぞく。そしてそれらの大陸のあいだに、大きな虹が架かろうとしている光景が。
本書には、数学に向かうときのフレンケルの心の動きが、飾らない言葉でみずみずしく語られている。また、彼が出会った数学者や物理学者たちの研究への姿勢や、その人柄までもが生き生きと活写されている。本書の翻訳に取り組んでいた時期、私は本当に楽しく幸せだった。
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